父の杖 

なんだか、あっという間だった。父の葬儀を終えて、昨夜帰宅。

 23日の午後に息が止まった、という知らせが来た。電話の向こうで兄が涙声。突然といえば突然。医者は転院先を探していたから、お花見くらいはできるかと思った。私は26日に帰省のつもりだった。
その日兄が見舞って病院を出たあとに、窒息して息が止まった、と連絡がきたらしい。診断書は胆管癌。死因究明の解剖は、断った。
ふと、11月生まれの母は11月23日に逝き、その39年後、2月生まれの父は2月23日、2人とも23日だと気づく。たぶん父はその日がよかったのだろう。愛のような、意地のような。

弟に電話する。弟の連絡先は私しか知らないので。それだって、この12月に数年ぶりに弟が電話をかけてきたので、知ることのできた番号だった。あのとき弟は、家に帰って、父に会っているはずなので、それもよかった。父のほうはというと、久しぶりすぎて、それが自分の息子という確信がなかったらしく、「あれがシンだったのかあ」とぼけたことを言っていたらしい。

電話すると、給料日前で、帰る金がないという。どこかで聞いた話だと思う。20年以上の昔、東京にいた頃、友だちが、父が死んだが帰る金がないと借りに来た、のを返してもらってない、とつまんないことを思い出した。兄と連絡とるように言う。このふたり絶交状態が長くつづいているのだったが。どちらも、金がなくてゆきづまってのなりゆき、感情的なものではないので、この機に和解するでしょう。

息子は、「じいちゃんの息が止まったとは聞いたけど、死んだとは聞いてない」と真顔で言う。え? 息が止まったら死ぬよね? 死ぬ、を受け入れたくない気持ちは、あるかもね。翌日の数学の試験を心配するが、じゃあ、じいちゃんの弔い合戦で、勉強して100点とるか、本物の弔いに行くか、好きなほう選んでいいよと言ったら、もちろん本物の弔いに行くという。アンパンマン列車つき。

翌朝、フェリーで松山まで。いい天気で青い海で、葬儀屋と打ち合わせ中だという兄から電話。花はどうしようか。
父は見るからに極貧の暮らしぶりだった。床の半ば抜けたボロボロの家に住んで、何の罰ゲームか、毎月、年金の6万5千円だけで生きて行こうとしていて、着るもの食べるもの、これ以上切り詰められないほどきりつめて暮らしていた。
だから、父がお金をもっているなんて誰も思っていないし、兄は葬儀代の心配をしていたが、通帳には葬儀代ぐらいはしっかりとあり、それなら、それを使ってやろうということになり、最後に、祭壇の花をどうするかということになって、12万違うって恐ろしいけど、いいよ、花を育てるのが好きな人だったし、最後に花ぐらい派手に飾ろうよ、ということに。
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港に、兄と下の叔父が迎えに来てくれていた。それから松山の伯父の家に向かう。この伯父が90歳になるのだが、電話をかけても途中で物も言わず切れてしまったり連絡がとれないので、自宅に行く、ということで、兄たちも十年ぶり以上らしく、道に迷いながら。
伯父は生きていた。なんといえばいいか、ものがあふれた部屋の奥のベッドの上に座ったまま迎えてくれて、話しだしたらとまらないのも、以前の通りだが、はじめて会う私の息子に向かって、昔の宇和島の殿様の家来の、どういうつながりになるのかわからないけれど縁戚の人の、それがどういう話がわからないけれど、小さいころに世話になった人たちの、まあとにかく謎の話をえんえんつづけるのだった。
兄と叔父は、これで、弟が死んだことなんか聞いたらショックですぐ行くぞ、というのでそのことは言わないことにし、これから私の息子を大学の見学に連れて行くのだとか、適当な理由をつけて、その場を辞した。
伯父さんに会ったのは、20年前に祖母が死んだとき以来。話しながら、伯父さん泣いていたが、祖母に最後に会ったときも、泣かれたなあと思い出した。またそっくりな顔なのだ。たぶん、もう最後かな。自衛隊の人だったので、そのはったりで、兄の借金がらみでやってきていたヤクザを、追い払ってくれた、40年前。そのことを、当の兄はずっと知らなかった。

そこらじゅう菜の花が満開。

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伯父の家を出たあと、弟から電話。宇和島に帰ったけど、ひとりで斎場まで行く勇気が出ん、とまたかわいらしいことを。上の叔父さんが斎場にいるから行けよ。もうじき、私たちも帰るよ。

斎場に着くと、ちょうど、死者の化粧などが終わったところだったのだが、白い装束を着て横たわっている人は、なんか、仙人っぽかった。仙人がそこで休んでいるかしらと思った。弟と息子と、兄だったか伯父だったか、で死者を棺に移した。
白いおだやかな顔で、ほんとに仙人みたいに見えるねと言ったら、「生きてるときから、仙人みたいな暮らしだったし」と息子。たしかに。

愛用の、仙人の杖を入れてやる。