愛の夢

弟には15、6年ぶりくらいに会った。前に会ったのは、息子がまだ赤ちゃんのとき。弟の大きな声におびえていたのを思い出すけど。いまは弟も補聴器を入れて、自分の声の調節もできるようで、普通に会話できた。息子にすればはじめて会うのだが、彼が言うには、「こっちの親戚はゆるい」。まあ、みんなどっかネジがないよね。

それにしても女っけのない一族で、兄も叔父たちも離婚しているし、弟もひとりだし、ひとりもの男子ばかりが4人、それに私と息子で、集った親族はそれで全部。
こんな時期だから、葬儀の広報も出さなかったのに、通夜も葬儀も、聞きつけた人たちが何十人か来てくださって、生まれ育った土地で生きて死んでいく幸福を、すこし思った。私にそのしあわせは、ないな。
通夜のあと、お礼のお菓子を渡すのに、上の叔父が、糖尿で倒れてからあと、なかなか体を動かさなくなっているのが、せっせと菓子を袋にいれていたのが、かわいらしかった。

通夜のあと、兄や叔父たちと、用意してもらった膳で飲み食いしたのだが、兄がチラシ寿司がまずいと言い、死んだお祖母ちゃんのはおいしかったね、と私も思い出して話していたら、ばあちゃんのは宇和島一よ、と叔父さんたちが言うのは、なんでも祖母は、ちらし寿司や卵寒天を、天赦園の料亭から、頼まれてつくっていたほどらしい。初耳。なんと私たちは、料亭の味を普段に食べて育つというぜいたくものだったのかー。
お正月やお祭りのときに祖母が作ってくれた卵寒天を、私は大好きで、そのせいで、そのほかの卵寒天が不味くて食べられない、というふうになっているのだが。

それから、下の叔父と弟が、話し出したのが、入れる温泉と入れない温泉の話。刺青があっても入れてくれるところも、ないではないらしい。弟は昔刺青を入れた。叔父の別れた息子も入れたらしい。ばかが、いきがって。みたいな話だが、うちの息子の前でそんな話するな。

地方によって、刺青のスタイルも違うとか、叔父が、風呂屋で、刺青もんもんのおじさんに、そんなん入れとったら怖がられるやろとかなんとか話しかけたら、わしはあんたが恐ろしいわ、ふつう、こんなん見たら誰も寄ってこんが、と言われたとか。私も笑うけど、いいけど、
それから弟が、わざわざ腕をまくって、うちの息子に「こんなん、絶対いれたらあかんよ」というのであった。見せるな。

それで私は息子に言った。内緒な。きみは賢いから、どんな話が誰に対して内緒かは、わかるよね?
息子、刺青談義のふたりから、小遣いもらっていた。

弟は父の財布を中身ごともらって、姉ちゃんに借金あるから返す、と言う。全く記憶にないけど、返してもらう。

思えば、母が死んで弟と別れたのは彼が16歳のときだった。いま息子が16歳で、背格好と声が似ている、せいかどうか、私は自分でもあきれるほど、シン(弟)とリク(息子)の名前を呼び間違え続けて、とうとう、どちらを呼んでも、どちらもが振り向いてくれるようになったのが、おかしかった。呼んだあとで、いまどっちを呼んだっけ、と考えたり。ま、どっちでもいいから、これ運んで、みたいな。

昔読んだ仏教説話のスリハンドクの話を思い出した。スリとハンドクの兄弟は頭が悪くて、自分の名前も覚えられなくて、スリと読んでも、2人が返事をし、ハンドクと呼んでも2人が返事をする、それでもお釈迦さまのお話をよく聞いて、しあわせになりました、という話でしたっけ。

もしかしたら、スリとハンドクには頭の悪い姉がいて、しじゅう呼び間違えるけど、スリもハンドクもやさしいので、どちらが呼ばれてもどちらもが返事して、姉をしあわせにしてやりましたって、そういう話かもしれん。

男ばっかりなので、叔父たちが帰ったら、飲み食いの後片付けは私がするのだろうなあと思っていたのだが、風呂に入ってる間にきれいに片付いていた。弟が、さっさとコップを洗いはじめたので、兄も手伝って、片付けたという。すばらしい。

「ひとりが長いからな、片付けるようになる。そうしないと、すぐゴミ屋敷になるからな」とシンが言う。何もしないで、スマホ見ているだけのリクは、すこしシンを見ならって欲しいが、その前に私が見ならえって話でもある。

そして2日間、シンとリクの2人の男子の名前を呼んでるだけで、あたりが片付いていくのは、なんか楽しかったわ。

私はたぶん、弟の名前を呼べるのが、楽しかった。

 

父は最近の写真を残していなかったらしく、ようやく兄が探し出したのが、40年ほど前のもの。いきなり若くなってた。たぶん、母が生きてたころのがよかったんじゃないの、と眺めていたら、家族が破裂する前の子どもの頃のことを思い出した。

 

朝、出棺の前に棺に花を散らす。30年ほど前、腹膜炎で危篤になったときに、父はきれいな花畑を歩いたそうだが、今度こそは本当に歩いていった。

焼き場の都合で、火葬の後、葬儀。兄が、喪主挨拶の途中で泣き出して葬儀っぽくなった。血の繋がらない父子の、半世紀以上のあれやこれやの愛憎の果ての、最後の日々が、こんなにも穏やかで、思いやりに満ちたものであったことに感動する。終わりよければ全部良しでしょ。享年88。満87。

葬儀のはじめに、孫はおじいちゃんにピアノを弾いてあげました。ショパンエチュードと、リストの愛の夢

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宇和島城のカンザクラ。