夕暮れの菜の花あかり別れかな

季節は、移り変わっているのだった。庭はツツジやサツキが咲いている。

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こないだ調べごとあって、Google マップで広島の地図見てたら、お店の名前がぷかぷか浮かんでくるなかに、私の昔のバイト先のお店がない。不安になって検索、なんと2018年7月で、閉店したとわかる。
そんなばかな。こないだ行って、忙しかったから皿洗い手伝った記憶、、、。ブログの日記を遡って探すと、私が最後に行ったのは2017年5月だった。3年前、、。その時は店閉める話はしてなかった。
でも、店の人たちの老いを感じことを思い出した。ママもマスターも70代の後半。
さらに検索すると、店を閉めたら、下の娘がいるウルグアイに行くとお客さんに話していたらしいこともわかってきた。、、ウルグアイでは訪ねてゆけない。

ほんの先日、75年前に山中高等女学校に通っていたという方とお話する機会があったのだが、原爆で焼けた女学校の跡地は、その後、大学の寮になり、女子寮は山中寮という名前で、そのボロボロの女子寮に、私も1年暮らしていた。
女子寮の先輩たちが、バイトしていて、それで私も行くことになった、人生で最初に働いた店だった。学生の頃から10年ほどは働いたと思うの。東京からもどってきたあと、妊娠するまでの1年間も働いた。

大学が消え、学生寮も消え、アパートが消えマンションが建って、あたりの風景がすっかり変わっても、その店だけはあったのだ。昭和の頃のたたずまいのまま。

バイトはそのままやめていたのに、家族でお客さんしに行っても、ひとりでも、友だちと行っても、ママもマスターも絶対お金をとってくれなかったから、かえって足を運びづらかったんだけど、こんなことなら、もっとしばしば、ただ飯食いに行けばよかった。娘たちの住所も聞いておけばよかった。この間、と思ったのが3年前なんて。自分の浦島ぶりにびっくり。

ことのついでに、寮にいた頃のことまで遡って思い出した。あの頃のことは、楽しいよりも苦い。苦すぎて、思い出したくなくて、もう別の世界の話のようなんだけど、そんななかで、あの店で働きとおしたこと、キャベツを切り続けたこと、皿を洗い続けたことだけが、別の世界とこの世界をつないでいたのだったが。


昨日、町に降りたので、行ってみた。店はマンションの1階にあったんだけど、店だけでなく、マンションごと立ち入り禁止になっていた。昭和49年に建ったのらしいけど、もう取り壊すんだろう。ということは、店はこの建物と同じときに開業したのか。ママとマスターは隣のマンションに住んでいたので、見てみると、郵便受けに転居と書いてある。近くの、たばこやさんが言うには、そのマンションも近く取り壊しの予定とか。

ドバイという名前のあの店が、70年代80年代の空気感のまま、そこにありつづけていたことも、つくづく不思議だったけれど、こうして忽然と消えていることも、また不思議でたまらない。

お礼が、言えなかったな。

 

お昼から、友だちと、御幸橋から宇品を歩く。御幸通り、昔の海岸線、昔の県営桟橋まで。少し必要があって。半ばは気分転換。天気もよくて、いいお散歩日よりだった。