ねむの木にねむの花咲く

うちの? 畑(団地の管理放棄地を開墾した)には、ねむの木があって、一昨年くらいに花が咲くのを見るまでは、なんかの木、とは思ったが、ねむの木とは把握してなかった私だ。
畑には、桑の木(とっても細い)もあって、それも、去年ぐらいに、実をつけるまでは、桑の木と把握してなかった。実は数個だけ、それも鳥が食べちゃった。

ねむの木、去年はほとんど花が咲かなかった。鹿が来て、ことごとく新芽を食べてしまったせいなのだが、今年は、たぶん、木が、少しだけ背が伸びた。鹿より少し高くなった。それでいま、花盛り。きれいだわ。

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芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」の句。息子は西施を知らないが、象潟は知っていた。秋田にあって羽越線が通っているらしい。
ほんの少しが、大事と思うよ、と息子に言う。ほんの少し成長しただけで、ねむの木にねむの花が咲いた。でも、ほんの少しを怠けたら、きっと鹿子に根絶やしにされる。(さくらんぼの木は鹿子に食われつくして枯れてしまった)。ほんの少しを、がんばるべし。

農家もあちこち、鹿やら猪やらアライグマに襲われているらしい。お隣は、網を張りめぐらして、それで去年からこの春まで乗り切ったと思うんだけど、やっぱり襲われたらしい。私はもう面倒で放っていたんだけど、町内会の草刈の季節、放っておくのもまずいし、鹿子に勝てる気はしないながら、鹿よけの網を張る。残された足跡と糞が語るには、晴れた日は後ろの土の道から来る。雨の日は堂々と舗装されたほうの道路から来る。

網を、二重に張る。段差にする。迷路にする。といろいろやってみるんだけど、すでに3度は破られた。力ずくで引き倒してゆくもんなあ。ざあざあぶりの雨の夜に。

今日もまた網を張りなおして、梅雨の晴れ間の草引き。夕方、学校帰りの息子が、ねむの花を見に立ち寄る。
学校の話。部活のミーティングがあったのだが、パソコンルームが使用できない、ということになった。放課後、男子たちがパソコンで遊んでいるばっかりの部活である。パソコン使えなくて何するの? 若いほうの顧問が、畑でも耕しますか、と提案したらしい。誰も賛成しないので、話はそこで立ち消えている……らしい。
いいんじゃない。でも、この時期、何か植えるものあるかな?

集団農場、と息子が言うので思い出した。コルホーズとかソフホーズとか。ところが、息子はその言葉を知らない。知らないのだ。地理だけは得意な子が。ぼくが生まれたときにはソ連はなかったよって、その通りですね。
地理で習った。私たちが習ったときには、それは過去の話ではなくて、現在のソ連の話、だった。黄金の小麦畑で、髪をスカーフでまとめた女の人たちが働いている写真を、見たような気がする。

息子、帰って、電子辞書で調べていた。コルホーズとかソフホーズとか。

草引きのあと、私は腰痛。少し働くとすぐこれだ。
庭のあじさい。

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