それはプラネタリウムの詩人

29日は中原中也記念館にいた。

中也さんの誕生日なので、例年この日は入館料無料なので、山口にいるときは行くのです。

それでこの日は、毎年、前庭で朗読会があって、ゲストを招いてのステージもある。

今年は、開館20周年で、こんな感じ。

http://www.chuyakan.jp/04news/20th04.html

谷川俊太郎谷川賢作のライブだって。

息子に、谷川俊太郎を見せよう、と思った。

4年生の終わりの2分の1成人式で、谷川俊太郎の「生きる」の詩をみんなで暗唱したんだね。ところがあとで調べたら、先生が配った詩のプリントからは、「それはプラネタリウム」の一行が消えていて、息子はそれを残念がった。

じゃあその消えた一行のさびしさは、詩人を見て埋め合わせするのがいいんじゃないかと、思ったりしたわけだ。

「それはプラネタリウム」の詩人を見に行こう。

こんな機会、きっともうないし。無料だし。

いつも閑散としている記念館が、人でごった返していた。小さいときから何度も連れてきているせいで、息子、ここに来ると、かくれんぼする習性になっていて、一階二階くるくるまわる。まわってもいいけど、走るな。

お庭の朗読会を聞きに行くと、トマトとニラが仲良しという詩を読んでいたのが、今年の中原中也賞の受賞詩人らしかった。会場に、谷川俊太郎さん見かけたので、

ほらあのおじいさんが「それはプラネタリウム」の詩人だよ、と息子に言った。

「ふうん」と息子は言った。

息子は、カメラで、庭の茂みや石ころを撮っていた。それで人目もはばからず、ママにだきついてキスしていた。

なんにしても、もうその場所でおとなしくしている、ということは無理だったので、谷川さんが、朗読したり歌ったりしているライブの途中で記念館を出たのですけれども。

いったい、詩人というものを見せることができたということに、満足なのか、むなしいのか、よくわからない気持ちになったのでしたが、まあ、こんなもんだ。

きみは見たんだよ。教科書に出てくる詩を書いた人を。

でも、子連れだと意識のほとんどは子どものほうに向いてるから、朗読なんて全然耳に入ってこないのね。言葉が言葉になって聞こえてない。声だけなんとなく耳に残ってる、みたいな感じ。

それで、子どもといると、妙なものに目がとまったりする。中也記念館に置いてあったパンフレットで一番面白そうに見えたのは、湯田小学校の児童がつくった街歩きのパンフレットだったりして、息子とふたりで眺めた。

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息子、中也さんのビデオ見て、小学校のときの習字のあまりの上手さに、衝撃を受けていたが、あまりに自分とかけ離れて立派だと、それ見て、ぼくもがんばろう、というふうにはならんわね。

それからパパに迎えに来てもらって息子はSLやまぐち号を見に行き、私は、

川上未映子×穂村弘トークセッション「中原中也、その愛と魅力と謎」

を聞きに行った。たくさん人がいて驚いた。

それから広島に帰ってきた。行き帰りの高速道路のSAで、まいたけうどんと、葉わさびうどんを食べたのが、なんとなく幸せだった。