「原爆文学という問題領域」

あれこれの読みかけの本を投げ出して、一気に読んでしまった。
『原爆文学という問題領域』(川口隆行)創言社

「原爆文学(史)の起源にはナショナルな欲望が充填されている。原爆文学について語ること、原爆文学というジャンルの成立そのものが、戦後日本というナショナルな空洞の同一性の構築、脱構築、再構築といった実践ときわめて深く結びついている。(略)私は原爆文学を、超歴史的ジャンルとしてではなく、戦後日本の言説空間を構成した問題領域(プロブレマティーク)のひとつと把握したい。そしてそれは、戦後日本が内包する多様な問題群に常に開かれた領域として、原爆文学を再設定することになるだろう。」

被爆者に限らずアジア・太平洋戦争の体験者は、遠からずこの世から姿を消す。体験者がpublicな場で積極的に証言しえるのも、あと十年ほどであろう。さりとて、体験者がこの世から去ろうとも、その存在や出来事の痕跡は多種多様な媒体を通して言葉やイメージとして残りつづけよう。私たちは、やはり、そうした痕跡の一つ一つから過去の出来事を解読する想像力を鍛え、それを語る方法を探りつづけたほうが良い。蓄積されたアーカイブへの向かい方──技術と倫理──を練り上げていくことが肝要である。
 体験者の存在が決定的に失われようとする今だからこそ、こうしたことは何度でも意識したい。体験者の消滅とは"否"を突きつける存在の表舞台からの退場を意味するとして、そうした事態が歴史に向き合う「緊張感」の喪失へと堕するのであれば、歴史(記憶)の横領といった事態があちこちで横行しよう。とりわけ「原爆」だの「沖縄」だの「空襲」だのといった”伝えねばならない”ともっともらしく言われる事象こそ、そうした危険が常につきまとう。”伝えねばならないのなら伝えましょう。だけど私の勝手な物語をね”と。
 当面の間、「風化」などありはしないのだ。しばらくは、原爆の記憶にせよ消滅するどころか、当事者の顔をした輩のその時々の都合によって、幾度でも甦り、語られ、継承されるだろう。死人に口なし。いや、死人の口を借り受けて魑魅魍魎が唱和する光景。「原爆文学研究」を当面の看板に掲げる私にせよ、決してその外部に立ってはいない。」

ええ。決してその外部に立っていない。
私なんかも。ここで。生きてしまって、聞いてしまって、書いてしまって。

祈りは、であったか、信仰は、か、正義は、善は、美は、よく生きることは、か、主語が何だったか思い出せないのだが、とにかくそのあとはこうつづく。
「それは何にもまして、注意深さの資質である」

ヴェイユ、だったと思うんだけれど(ヴェイユぐらいしかまじめに読んでないから)とにかくそんな言葉を思い出した。
ゴミ山の学校の支援の現場で、「善意だから善だとは限らない。善意が善であるためにはどれほどの注意深さが必要だろう」と考えさせられたときに、骨身に沁みた「注意深さ」という言葉なんだが。

きっと、原爆文学という「問題領域」に踏み込んでいく人に必要なのも、「注意深さの資質」なのだろうと、読みながら思った。
栗原貞子の詩への共感と違和が、何によるのかが言語化されていく過程はとても納得のいくものだったし、パレスチナの人々にとってヒロシマが希望だと聞いたときに私が感じたとまどい、が何かも、その注意深さのなかで掬ってもらった気がした。

「分断化された記憶の領域を普遍性に開こうとする行為のうちにも、いくつもの分断の「罠」が仕掛けられていることに、細心の注意を払いたい」
とある。

ああ、ほんとうにあらゆる場面に、分断の「罠」があるなあと、いろんなことを思った。