ランドセルのゆくえ

息子のピアノレッスンについていくと、同学年のAくんとAくんママに会う。一緒の時間帯なのだ。

ふたりとも6年生。卒業したらランドセル使わないよね、きれいなんだけど、ランドセルをあげるところがないな、という話になり。もったいないから私が使おうかな、ランドセルって、外国の人たちから見たら、すごくすてきな鞄に見えるらしいよ。丈夫だし。と私が言うと、でも日本だとどうしておばさんがランドセル?って思うよねえ、とAくんママ。うん、そうだけど。
するとAくんが「子どもが使うものという先入観があるからだめなんだよ。先入観をはずして考えたら、このランドセルほしいっていう人、たくさんいると思うよ」と熱心に言う。ねえ、そうよね、と意気投合した。(ので、楽しい気分になった)。前に見たときより、元気そうだな。


息子たちのレッスンの間、いろいろお話する。最近、自閉症スペクトラムが発覚したAくんの睡眠障害のこととか。今日は好きなクラブがあるから学校に行きたいけど行けなかったとか。
いじめられたときに、ふれあい教室という逃げ場を準備してもらったにもかかわらず、教室から出ていくことが怖くて、行かなかった私の息子と、いじめられたわけでもないけど、さばさばと教室を出ていって、ふれあい教室に居をかまえたAくん。
同級生に声をかけられても、うちの子は、なんの魂胆があるのか、いじめるつもりか、と警戒して無視して、なんで無視するんだとまたからまれるんだけど、Aくんは、魂胆もなにも、おれはおまえを気にいらないんだから、声なんかかけてくんな、とクールに無視する。教室にいるときも、人に話しかけられたくないから、休み時間は本を読んでる、というのを聞いて、笑ってしまった。

私、そうだった。高校生のころは、人と一緒にお弁当を食べるのが苦痛だったから、お昼の時間、ひとりで本読んでた。お腹がすいても、そのほうがよかった。
いまは?とAくんママがびっくりしてきく。
いまは平気。全然平気。どうして平気になったか、わかんないけど。どこかですこしずつ、かわっていったと思うよ。

そういえば、以前、休み時間にいろいろ人がからんでくる、と息子がぐずぐず言ったときに、本読んでたら、だれもからんでこなくなるよ、と私はアドバイスしたが、息子はそうしなかった。からまれるのはいやだが、孤独なのもまたいやなのだろう。教室を出ることなくぐずぐずとやりくりしているが、でもこのまま地元の中学に行くのはいやだと泣き狂うし。

私はずっとAくんのことがなんとなく気になっていたのだったが、気になる理由がわかった。りえちゃんに似てるのだ。幼なじみの一級上の女の子。いつもひとりでいて、それで私は、りえちゃんのあとを追いかけるのが、好きだった。追いかけて、追いつけずにいるのが好きだった。

ランドセルのこと、うちの息子にきいてみたら
「ママか使うの? しっくりこないけど、まあ、いいよ」だった。ゆずってくれるらしい。
だから、卒業のときに、ランドセルに寄せ書きなんてするなよ、と言うと、「でも、友情の証でみんなするよ」と言う。同じ中学に行きたくないというくせに、なんの寄せ書きか。寄せ書きはノートか色紙にしてもらってよ。子どもらに下手くそな落書きされたら、ママが使えないじゃないか。
「わかったよ」と言うが、どうだろな。
氏ね、と書いたり書かれたりしなければ、しあわせだ。