『チェルノブィリの祈り』スベトラーナ・アレクシエービッチ から ②

チェルノブィリの祈り』スベトラーナ・アレクシエービッチ から


第二章 万物の霊長

──母親

「私の娘、あの子はほかの子とちがうんです。大きくなったら私にたずねるでしょう。「どうして私はみんなとちがうの?」
 娘は、生まれたとき赤ちゃんではなかった。生きている袋でした。からだの穴という穴がふさがり、開いていたのはわずかに両目だけでした。」
「四年後に初めて、娘の恐ろしい異常と低レベルの放射線の関係を裏づける診断書を発行してくれました。四年間拒否され、同じことを言われてきました。「あなたのお子さんはふつうの障害児なんです」。ふつうの障害児だなんてとんでもない。娘はチェルノブィリ身体障害者です。」
「私は気ちがいよばわりされ、古代ギリシャでだってこんな子どもが生まれたんだといってばかにされた。「チェルノブィリの特典めあてだ! チェルノブィリの補償金めあてだ!」とどなったお役人もいます。私は彼の執務室でよくも気を失わなかったものです。」

──大学講師

「なぜわが国の作家はチェルノブィリについて沈黙し、ほとんど書かないのだろうか。戦争や強制収容所のことは書きつづけているのに、なぜだんまりを決めこんでいるのだろうか? 偶然だとお考えですか? もしぼくらがチェルノブィリの苦難に勝っていたら、ぼくらがチェルノブィリを理解していたらもっと話題にのぼっていただろうし書かれていたと思うんです。ぼくらはこの惨禍からいかにして意味のあるものを引き出せばいいのか、わからないでいる。能力がないんです。なぜなら、チェルノブィリはぼくら人間の経験や、人間の時間で推しはかることができないからです。」

──事故処理作業者

「正直いって、あそこで英雄にはお目にかかりませんでした。自分の命なんてどうなってもいいやという頭のいかれた連中ばかりですよ」

──カーチャ・P

「事故の話でもちきりでした。家、学校、バスのなか、通りで。ヒロシマと比べていた。でもだれも信じていませんでした。(略)私が覚えているのは、町をはなれるとき、空が真っ青だったこと」
「私はこわい。愛するのがこわいんです。フィアンセがいて、戸籍登録所に結婚願いをだしました。あなたはヒロシマの〈ヒバクシャ〉のことをなにか耳になさったことがありますか? 原爆のあと生きのびている人々のことを。かれらはヒバクシャ同士の結婚しか望めないというのはほんとうですか。ここではこのことは話題にならないし、書かれない。でも、私たちチェルノブィリの〈ヒバクシャ〉はいる…。」
「私の耳には(彼の)おかあさんの声。「ねえあなた、生むことが罪になるって人もいるのよ」。愛することが罪だなんて…。」
「子どもを生む罪。こんな罪がだれにふりかかるのか、あなたはご存じじゃありませんか? こんなことば、以前は聞いたこともありませんでした。」

──映画カメラマン

「ところが、ここ数日というもの保育所の子どもたちをつれだせないでいるのを、ぼくは見て知っているんだ。車がたりないんです。それなのに、連中(コルホーズの議長ら)はジャムや塩漬けの三リットルびんまでいっさいがっさい詰め込むのに車二台じゃたりないという。」
「世界が終わろうとするときにも、悪のメカニズムは機能するんです。ぼくはこのことを理解したんです。デマも流れるだろうし、上役にごまもするだろうし、自分のテレビやアストラカンのコートを救いたいとも思うだろう。この世の最後を前にしても、人はいまとなんら変わることはないんです。いつでも。」

──教師夫妻

(妻)「いま子どもたちが心配しているのは、核戦争後になにがおきるかということです。生徒たちは古典文学がきらいになりました。私がプーシキンを暗唱しても、生徒は冷ややかな遠い目をしている。子どもたちのまわりはすでに別の世界なんです。」
「まわりで人々が死に、多くのことを考えさせられます。私は子どもたちにロシア文学を教えていますが、この子たちは10年前の子どもとは似ても似つかぬ子どもたちです。彼らの目の前では、いつもなにかしら、だれかしらが葬られています。土のなかに家も木もすべてが葬られている。この子たちは整列していると、気を失ってたおれ、15分か20分も立っていると鼻血を出す。なにがあっても驚きも喜びもしない。いつも生気がなく疲れたようすで、血の気のない、青白い顔をしている。遊びもせず、ふざけたりもしない。」

「私たちのくらしは、チェルノブィリのまわりをまわっています。(略)すべてのことに対してチェルノブィリという診断。どんなことが起きても、みながチェルノブィリだという。私たちは非難をあびる。「あなたがたは恐れている。だから病気になるんだ。原因は恐怖心なんですよ。放射能恐怖症です」。では、なぜ小さな子どもたちが病気になり、死んでいくのでしょう?彼らは恐怖心がどんなものか知らないし、まだ理解できていないのに。」

「信じられないことが起きたのに、住民はたんたんとくらしている。畑で採れたキュウリをすてることのほうが、チェルノブィリよりも大問題なんです。子どもたちは夏の間学校にひきとめられ、兵士たちが粉せっけんで学校を洗い、まわりの表土をはがしました。でも秋にはどうでしょう? 秋になると生徒たちはビートの収穫に行かされたのです。大学生、職業技術学校の生徒も農場に連れてこられました。全員集められました。掘り残しのジャガイモを畑にそのままにしておくことのほうが、チェルノブィリよりも恐ろしいことなんです。」

(夫)「なぜ、ぼくらはチェルノブィリのことを話さないのだろう。学校で、生徒たちと。彼らとこのことを話すのは治療先のオーストリア、ドイツ、フランスの人々です。ぼくは子どもたちにたずねる。外国の人とどんなことを話したんだい? なにがおもしろかったかい? でも、子どもたちは、町や村の名前、自分たちが滞在した家族の名前さえも覚えていないことが多い。(略)この子らはいつも待っているんです。もう一度つれていってもらい、見せてもらい、プレゼントをもらうのを。(略)
 外国という名のこの大きな店、高価な見本市からもどってきた子どもたちのところに、ぼくは授業に行かなくてはならない。ぼくは行き、この子たちがすでに傍観者になっていることがわかる。彼らは傍観しているだけで、生きていない。ぼくはこの子たちを自分のアトリエにつれていく。そこにはぼくの木彫りの作品がある。この子たちのお気に入りなんです。「ここにあるものはぜんぶふつうの木で作ることができるんだよ。自分たちで彫ってごらん」。目を覚ませよ!」

──共和国連盟「チェルノブィリに盾を」副理事長

「事故処理作業に投入された部隊はぜんぶで210部隊、およそ34万人です。屋上を片付けた連中は地獄を味わうことになりました。彼らには鉛のエプロンが支給されましたが、放射線は下からきたのです。(略)無線操作のマジックハンドはしょっちゅう命令を拒否し、とんでもない動きをしました。放射線量が高いところでは電子回路が故障するのです。いちばん頼りになる〈ロボット〉は兵士でした。軍服の色から、〈緑のロボット〉と呼ばれた。崩壊した原子炉の屋根を通りすぎた兵士は3600人です。
 この若者たち。彼らもまた現在死んでいますが、自分たちがこの作業をしなかったらどうなっていたか、彼らは理解しています」

「博物館にはヘリコプターの操縦士たちの展示室がひと部屋あります。(略)原子炉の上空高度300メートル、操縦室の気温は60度もありました。砂袋が投げ落とされたとき、下でどんなことが起きたか、想像してみてください。放射能は1時間あたり1800レントゲンにも達したのです。パイロットたちは空中で気分が悪くなりました。ねらいを定めて燃えさかる穴に命中させるために、彼らは操縦室から頭を突き出し、目測で見当をつけたのです。それしか方法がなかったのです。政府委員会の会議では、簡単に、事務的に報告されていました。「この作業には二、三人命を落とす必要があります。こちらの方は、ひとりの命が必要です」。簡単に、事務的にです。
 ポドチェフスキー大佐は亡くなりました。医者は、彼の線量登録カードに原子炉で上空であびた線量を七レムと記入した。実際は600レムだったんですよ!
 日夜、原子炉のしたにトンネルを掘りつづけた400人の炭坑夫たちはどうでしょう? 土台を凍結させるために、液体窒素を流し込むトンネルを掘る必要があったのです。そうしなければ、原子炉は地下水のなかに没したかもしれません。(略)彼らははだかで、気温が50度を超えるなか、しゃがんでトロッコを押しました。そこは数百レントゲンもありました。
 いま彼らは死んでいっています。」

チェルノブィリ。ぼくらにはもうほかの世界はありません。(略)戦場から帰ってきたのは〈失われた〉世代、チェルノブィリとともに生きているのは〈途方にくれた〉世代です。ぼくたちは途方にくれてしまったんです。変わらずに残ったのは人間の苦悩だけ。ぼくたちのたったひとつの財産です。貴重な!」

──助産

「もう長い間幸せそうな妊婦さんを見ません。幸せそうなお母さんも…。お産が終わってわれにかえると私を呼びます。(略)「先生、赤ちゃんは正常ですか? だいじょうぶですね?」(略)不安がる。「私はチェルノブィリの近くに住んでいるんです。あそこの母のところへ行ってきたんです。あの黒い雨にあったんです。」
 夢の話をしてくれる。八本足の子牛を生んだ夢を見たわ。ハリネズミの頭をした子イヌを生んだ夢を見たわと。そんな奇妙な夢。昔はそんな夢を見る女性はいませんでした。聞いたこともありません。30年間助産婦をしていますけれど。」

──母親

「息子は血液の病気です。(略)どの母親も病室じゃ泣きません。トイレや浴室で泣くんです。明るい顔をして病室にもどります。
「ママ、ぼくを病院からつれて帰って。ここにいるとぼく死んじゃうよ、みんな死んでるんだもの」
 どこで泣けばいいの? トイレ? あそこは行列よ。私のような人たちばかりなんですもの」