パアララン・パンタオ 2012年8月 ③

8月6日(月)
朝すこし、雨は落ち着いたと見えたが、学校は休み。
でも、ジェイン先生とマイリン先生のふたりはやってきて、授業の教材作りをしていた。マイリンは妊娠4か月だって。


レティ先生とロザリンはごはんをつくっている。学校も休みで給食もないのに、なんでそんなにたくさんのスパゲティ?
と思っていたら、日本の留学生たち4人やってきた。
今日はクラスはなくて子どもたちいないけど、お昼ごはんはあるよ。
太田君は修論書いている最中だそう。あと学部の留学生の女の子ふたり、夏休みの旅行中の女の子ひとり。
太田君は英語もタガログ語も達者なので、着いた日におおざっぱに聞いた今年度の学校のこと、彼がいるうちに、詳細を通訳してもらって確認する。

☆パヤタス校
朝のクラス 7:30~11:00 午後のクラス 1:00~4:30
ジェイン先生のクラスは午前中25人(5-6歳)午後27人(7-13歳)。
マイリン先生のクラスは午前中24人、午後22人(どちらも5-6歳)。
全部で98人が通ってくる。

☆エラプ校
午前中4クラス、午後4クラス。4歳~9歳(7歳8歳が各2人、9歳が1人)の生徒たち、全部で227人が通ってくる。

前夜、遅くまで、グレースがパソコンに向かって清書していた経理のレポートをチェックする。先生たちの給料は変わっていないが、エラブ校のほうは、3人やめて、2人と給食担当者が新しい。給料のほかに、電気代、水道代、備品代、行事のときの食事代。夏休みの間に、パヤタス校の壁を塗り直した、その費用。去年エラプ校の一階の床がこわれて、教室ひとつ使えなくなっていたのも直した。その費用。
数字があわないのはなぜだろう……ああ奨学金を入れてなかった。奨学金を足して計算すると、私たちが日本から送金した金額とあってきた。
ときどき資金は足りなくなるが、給食代を流用するなどして、まあなんとかやりくりできている、と言う。
数年前からレティ先生もようやく自分の分の給料をもらうことにしたが(長いことレティ先生は、他の先生に払っても自分は無給のままだった)、レティ先生の給料は、エラプとパヤタスの2つの学校を行き来するときのドライバーさんに払うお礼とガソリン代とで消えている。

☆給食
去年は給食費を出してくれるところがなくて、パヤタス校は給食がなかったが、今年は、スイスのNGOからの支援をとりつけた。エラプ校もパヤタス校も、そこが出してくれることになった。パヤタス校は、だれが調理してるの、ってきいたら「私」とレティ先生が言った。

☆キャンプと研修旅行。
フィリピンは4月と5月が夏休み。4月には、20人ほどの子どもたちが一泊のキャンプをした。マニラ郊外の山のなかの農園で。レティ先生の息子のジェイとその友人たちが、テントや交通費などの費用を用意した。写真の子どもたちも楽しそうだし、ほんとに楽しかったらしい。

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5月には、先生たちが、バターンという土地に、研修旅行に行った。 


☆奨学生。
高校生と大学生の3人の奨学生たち。
ロザリンはハイスクール4年になり、
ロレインはハイスクールを卒業して、アダムソン大学に進学した。
でも、去年カレッジに進学したジョシエルはいなくなった。

用意した今年度分の授業料を受け取らなかったらしい。学校をもう続けられないのだと言った。それから彼女の兄と一緒にパヤタスを出て行ったらしい。いまどこでどうしているのか、わからない。ジョシエルの家はずっと前からお父さんがいない。母ときょうだいたちが、ずっとスカベンジャー(ゴミ拾い)をして生きていたのだが。
去年、会ったときに、ジョシエルの表情の翳りが気になったのを思い出した。
それからもう十数年も前に、まだ10歳くらいの彼女が、ここで勉強していたころの姿を思い出した。
すごくまじめで、頭のいい子で、英単語の書取りのテスト、私は50点で、彼女は100点だった。
あのときクリスティーナ先生が楽しそうに、ジョシエルの答案を私に見せに来たっけが。ああ、クリスティーナは、亡くなって何年たったんだろう。血液のガン、だったらしい。まだ若くて、生まれてまもない子どももいたのに。

ほかに、シンガポールのグループが、小学生25人とハイスクールの生徒1人に奨学金を出している。
毎週土曜日には、この学校で学習支援をする。パヤタス校には18組の奨学生とその母親が来て、母と子とふたつのクラスに別れて、英語と算数の勉強をしている。教えるのは、ちいさい頃、パアラランで勉強した近くのハイスクールの生徒たち2人。

やはりシンガポールの支援で、エラプのほうで運営していたグループホームは、何か問題があったらしく、子どもたちの世話をしていたレティ先生の友人のテリーさんも解雇された。そこにいた子どもたちはいま、カティ(レティ先生の末息子の嫁)の友人が面倒を見ているらしい。

それでテリーさんはいま、ピーナッツバターをつくって売っている。朝、パン食べるときに出してもらって食べた。テリーさんのピーナッツバター、おいしい。

そのあと、高さんも、太田君に通訳してもらって、レティ先生へのインタビューを撮影していた。

それからスパゲティ、食べる。

午後、マリアペレが迎えに来るのを待って、リサイクルバッグの買い出しに行くことに。彼女は以前パヤタス校の先生をしていた。去年4人目の子どもが生まれて、先生をやめてパレスのほうに行っていたが、パヤタスにもどってきたみたいだ。
ジュースの空きパックを拾ってつくる、かばんやポーチ。つくっているのはここだけではないが、ここでもつくっている。店は以前と場所が変わった。今はロイダさんが自分の家でつくって売っているらしい。マリアペレの家が近いので連れてってくれる。
楽しいお買い物。
そこにある大きな袋に、詰め込めるだけ詰め込んで、買って帰る。それで日本でNGOまつりなどのバザーで売るのである。私が、あれもこれもそれも、と渡すのを、ロイダさんの10代の息子が、端からメモして金額を計算していった。

Img_5031 先生たちも帰り、学生たちも帰り、マリアペレも帰り、グレースは午後から大学に行った。教室はとても静か。またひとしきり大雨。


夜になって豪雨。これが、とんでもない激しさで。しかも長い時間つづく。
テレビの天気予報を見ると、ルソン島のまわりに、台風っぽいのが3つもある。めまいしそう。これは、明日もあさっても学校は休みかもしれない。マニラは水浸し。
2年前の洪水でも、大きな被害にあったマリキーナやモンタルバンの様子が映る。避難センターの様子も。この台風で、野菜や魚が値上がりしている。

夜、高さんとおしゃべりして過ごす。