メインテーマ

息子はどこかで聞いたらしい。ポケモンGOの話。
とはいえ、彼はポケモン自体をよく知らない。アニメで流行ったのは生まれる前の話だしね。私はよく知ってる。あの頃、テレビがなくて見なかったけど、児童館で働いていたので、やってくる子がもってくるポケモン図鑑を眺めるのが仕事みたいなもんだった。毎日毎日、新しいポケモンのぬりえをつくり、コピーして、子どもたちに提供していた。紙ねんど工作の見本に、ピカチュウをつくって工作室に置いておいたら、その日のうちになくなっていた。誰かもって帰ったのだろう。あれはとってもいい出来だった。同じころにつくったトトロとプーさんは誰ももって帰らなかったので、私がもらって、いまもここにある。

この後に及んでも、私はケータイとかスマホとかもっていないので、ポケモンGOなんてよその世界の話だが、ある時期、毎日の友だちだった小さいモンスターさんたちが、またあらわれてきたのかと、すこしなつかしい気持ちがする。ポケモンを順番に全部暗唱してる男の子とかいたなあ。かれこれ20年くらい前なのか。
私はポケモン描くのが上手だったので、子どもたちには重宝されて、よく遊んでもらった。子どもたちが遊んでくれるので、仕事も続いた。たぶんあの頃に、子どもたちと一緒に過ごすということがなかったら、いろんな家庭の事情を垣間見るということがなかったら、私は、自分が子どもを産むという勇気はもてなかったかもしれない。息子はいなかったかもしれない。いま私のメインテーマなんだが。
現場はやっぱり楽しかったのだ。あんまりいろんな子がいて、いろんな家庭があるので、もう、どんなふうに存在していてもいいわけだ、と、なんか開き直れた。
みんなとっくに大人になってしまったと思うけど、あの頃に出会った子どもたちには、すこし恩を感じる。んなわけで、昔のクラスメートぐらいには、なつかしい気持ちのするポケモンたちでした。探し歩く気持ちは、わかんないでもない。
いい大人が。

スマホ持たないので、私はポケモン世界にはゆきませんが、テレビ見ない、パソコンひらかない、でいると、この世の中もまた、ポケモン世界と同じように、関わりない世界になる感じがして、不思議。トルコのクーデター失敗も、東京の都知事選も、ポケモンGOのニュースも、同じパソコンの画面に浮かぶのだし、ポケモンGOがバーチャルなら、ほかのニュースもバーチャルかもしれないし、ほかのニュースがバーチャルじゃないのなら、ポケモンだってバーチャルじゃないかもしれない。
そして画面を切れば、ただ夏の一日があるだけなのだった。


月曜、息子のピアノ仲間の発表会なので、街へ降りる用事ついでに、息子と一緒に聞きに行く。Y君が弾いたのはモーツァルトトルコ行進曲。息子もひきたい曲なのだが、あいにく彼はまだ指が届かない。で、悔しいのだが。
Y君の演奏は印象に残る。練習不足でも間違いだらけでも。彼が触れると、ピアノが変わるという感じがする。同じピアノなのに。それまで固い石の道だったのが、ふいに草原に変わったみたいな音になる。ピアノがやわらかい生きものになる。
個性があるって、こういうことだろうな、と思う。私は彼が、小学校2年生のときに弾いた曲も覚えている。バッハのメヌエット
自分の息子のは、はらはらしている自分の気持ちしか覚えてないけど。
息子は今日が、発表会だった。今年になってから、こればっかり弾いていた「真田丸メインテーマ」。