母生還

出発前夜、腰に違和感。まずいな、と思ったけど。
31日早朝、出発。マニラに着いて、腰が痛いと言ったら、悩みはどこも一緒で、レティ先生の次男のボーンが、これがいいよって、ココナッツオイルを出してくれる。「気分はたった25歳くらいなんだけど、体はねえ」と言いながら、ボーンと私と、手伝いに来てくれているテリーさんと、3人が夜ごと、腰に塗りたくっていた。2日ほどしたらすっかり平気になったので、安心していたんだけど、6日、帰国の日の朝に、また違和感。夜、日本にたどりついた頃には、なんかもうくたくた。パパと息子が迎えに来てくれて荷物もってくれて助かったけど。

7日は、山口の義父母さんちに帰省。腰、回復しない、というより、すこし悪化。義父母さんちのやわらかいソファーで以前ぎっくり腰になったので、座らないようにしていたんだけど、たぶん、お布団のやわらかいのもよくないな。よろよろ歩いていた。
8日、萩に遊びに行く。道の駅しーまーとの海鮮丼は久しぶり。
明倫小学校の旧体育館で、いま「19世紀末、世界史の奇跡といわれる日本近代化の原点、萩」の展示をしていて、明治はじめの日本の産業革命の展示、いろいろと面白かった。案内してくれたおじさんが、息子にいろいろ話してくれる。それで息子が、地理とか歴史とか好きな子だから、おじさん喜んでくれて、話がだんだん難しくなる。なんか高校の授業みたいだった。昔の大きな地図を前に、図法の話、地名の表記の話、イギリスでつくられた日本の地図に、江戸はYEDO,広島はFIROSHIMAと書かれているんだけど、おじさんが、ロンドンに行ったとき、ロンドンで走っていた日本車のホンダを現地のタクシードライバーがフォンダと発音していたということとか、どこからどう話がとんだのか、アメリカとメキシコの国境の川の話とか、とかとかとか。でも息子が一番よろこんだのは、列車の絵のカンバッジを貰えたことだった。これはどこ走ってるのって聞いたら、もう走ってないよ、昭和の古い列車だよ、だって。昭和の、古い……。

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真夏の秋吉台を走って、土産屋で「かっぱクッキー」を買って帰る。

昨日の夕方、家にもどって、心配だった畑を見に行ったら、なんというか、いちめん焼け焦げたあとみたいになってる。いちご畑のいちごの葉っぱが茶色になってかさかさかになって、これはだいぶん枯れてしまったな。もしかしたらすこし生きのこっているけど、きゅうりは全滅。トマトとおくらは無事。枝豆はパパが収穫してくれていた。ブルーベリーの小さい木は枯れたかもしれない。葡萄は一房だけ、はじめて実がなったけど、食べられた実は6粒ほど。でもおいしかった。パパが水を運んでくれて、息子が水まき手伝ってくれたけど、追いつかないや。私も腰が痛いので、無理。

息子は「母の生還」などとメモに書いて貼っていた。飛行機がよほど心配だったらしい。ママが帰るまでに、宿題すませときなさいね、という約束だったが、守っているはずはないのだった。今日は朝からパパと出かけている。12日からは宇和島に帰省するんだけど、無事に宿題終わるのかな。知らないよ。

歩くと体が斜めにすすむ。腰痛、昨日よりはましだけど、よくなってくれないと、これで宇和島に帰るのはしんどいな。
PTAの連絡とかいろいろあったことを、思い出して、ばたばた。
パアラランの写真の整理とニュースレターの準備もしなければ。
マニラも暑かったけど、日本も暑い。じっとしてれば、なんでもないけど、動くと痛い、昭和の古い腰……。