燃える神さま燃えない神さま

とんど。
このあたりは竹のやぐらを組んで、正月飾りをもやしてぜんざいつくる。
それで、午前中、パパと息子は竹の切り出しに行き、
パンとジュースをもらって帰る。 火入れは午後からだが、
息子はぜんざいは嫌いなので行かないという。
私は、正月飾りの針金をはずす係り、らしいので、午後、ペンチと軍手をもって作業しにゆく。
積みあげられた正月飾りを分解してゆく。そのままくべると、焼け残った針金が田んぼに残るのが困るらしいので、丁寧にはずしてゆきますが。
だいだいや、もちや、神さままでくっついてくる。
これがまた、それぞれに燃える素材、燃えない素材、燃えるけど燃やしてはいけない素材、でできていて、
分別する。

神さまも、燃える神さま、燃えない神さま、燃えるけど燃やしてはいけない神さま、あるのである。
いろんな神社のいろんな神さまたち。神札やお守り。いろんな飾り付きのも。けっこうたくさんある。
「この神さまたち、どうしましょう」
「処分してってことでもってきてるんでしょうねえ」
使用済み神さまってことなのか。
使用済みの人間の体も燃やすんだから、燃えていいのか。
困るのは燃えない神さまだけど、分別してそれぞれのゴミの場所に。 
「罰あたるかな」
さわらぬ神に祟りなしってあるけど、私はおっかないので、神札もお守りも、ふだん絶対もたないのだが、よりによって捨てる係り。 
 
もし、罰があたるとしたら、燃やしたり、ゴミ袋につっこんだ私に罰があたるのか、神さまをこんなところにもってきた人たちに罰があたるのか、そういう仕組みをつくっている地域共同体全部に罰があたるのか。
もしも、神さまをゴミ袋につっこんだ私に罰があたるとしたら、この神さまたちを買った人は、ではご利益だけ自分がもらって、罰は他の誰かに、さしあたり、私にふるということなのか。

ということを考えながら、私もぜんざい食べないので、作業を終えてさっさと帰る。

死刑執行についてはどうか。
もし、人を死刑にして罰があたるとしたら、執行した役人が罰があたるのか、死刑執行を命じた大臣に罰があたるのか、判決を下した裁判官や裁判員に罰があたるのか。死刑制度を容認している国民全体に罰があたるのか。

罰なんかあたらない、とは、誰がどんな確信で言えるのか。 

帰ると、息子が「ママ、灰の匂いがする」って言う。
着ていたコートが煤くさい。

神さま、燃やしてきたんだよ。