むざん

まさかね、と思うよりは、おそらく、と考えるほうが合理的だ。17歳の中卒の男の子が仕事があると誘われて大阪まで出ていって、それから何がどうなったか知らないが、路頭に迷っていたところをヤクザに声かけられてそこの事務所で暮らすことになり、刺青いれて小指なくして戻ってきたのが7年後だ。田舎に仕事があるわけもなし、あの父と一緒に暮らすのもやってらんない話だし、また出て行って、飯場を転々してたんだろう。土木の仕事が電気の仕事にかわって、それから造船の仕事になった。電力会社の下請けって聞いたって、原発なんて、父は思いつきもしなかったに違いない。昔ながらの徒弟制でも思い浮かべて、しっかりがんばれ、とか励ましていたのかもしれないと思ったら、あわれだ。

原発事故。こういうことでもなかったら、私もまた、弟が原発ジプシーだったろうなどと、思いいたることさえなかったろうと思ったら、つくづくと自分がむざんだ。



日曜日。
午前中、子どもの通学班の話し合い。子どもたちあんまり態度が悪いから、見かねて話し合いの場をもつことになったのだった。
時間に遅れない。列から離れない。石を投げない。バスにさわらない。喧嘩しない。バス停でふざけない。死ねとかバカとか言わない。パトロールのおじさんたちに失礼な言葉づかいをしない。注意されたら言うことを聞く。
などなどなどなど。

午後、音楽教室の発表会。平和公園まで行く。
子ども、練習のときは、自分のパートだけでは飽きたらず、あいたほうの手で、他人のパートまで弾いていたが、本番はまじめに、自分のパートをやっていた。



私の日常は変わりがない。なんにも変わりがないのに、いきなり何もかもが嘘くさい。この日常が、嘘くさくて、そこで、子どものおかーさんのふりしている自分がうつろで、困った。へんな夢のなかにいるみたいで。不正義な夢のなかに。

なんとか自分で生きようと思って都会に出ていった中卒の17歳の男の子を、ヤクザにしたり、飯場の労働者にして原発に送り込んだりしているのは、誰が悪いんだろう。
あの子はさ、いい子だろ。人がよくて、だまされやすくて。読み書き嫌いだしむずかしいし、どんな目にあっても、人を恨むこともしなければ、訴えることもしないよ。都合がいいだろ。実際、両耳とも難聴になっても、腰いためても、訴えてゆく先もないもんね。
子どもの頃、米のとぎ汁を、カルピスだよって言って、出してやったら、信じて飲んでたなあと、思い出して、あのとき笑ったのが、いまはせつない。この姉が、カルピス出してくれるなんて、そういうやさしいことをするはずがないんだから、だまされてるって、気がつけよ。

 弟のだまされやすさを楽しんだわたしも春のキツネノボタン