品位

今度の教室は、職員室から一番遠くて、音楽室から一番近い、という。
「教室に監視カメラがほしい」
と子どもが言うのに、ちょっとショックを受けた。

むかし、街に監視カメラが取り付け始められたころ、不気味な監視社会がやってくるのだろうかと、私はおそろしく思ったが、いまではそれがあたりまえになってしまった。
そして、私の子どもは、いじめられたときに、すぐに助けにきてもらえるように、監視カメラが欲しいのだという。
学校の配置図を見て、今度の教室は3階のはしっこ、階段はひとつしかない、階段を通せんぼされたら逃げてゆけない、追いつめられたら逃げ場がない、と思う。
でもそんなことを思ってしまうのは、それ自体、不幸なことだと思う。
だいたい、一番不安な場所が教室である、ということが。

なんかもう、すでに何か壊れてないか。

毎朝、7時には家を出て、子どもたち並んでバス停まで歩く。一列で、黙って、坂道を降りていく、紺色の制服の列。
葬列のように、気の滅入る光景だとときどき思うんだが、自由に歩かせるとふざけるし、自由に喋らせると、たちまち「死ね」とか「おまえこそ」とか、言い出すから、立ち止まって叱る時間もないし、無事にバス停まで歩かせるには、黙って一列。

子どもたち、毎日けなげである。朝早くから、坂道降りてバスに乗って、学校に行って。でも学校は、そのけなげさに見あうほど、しあわせな場所だろうか。

私はおぼえている。
小学校のとき、だれに、うすのろとか、ばかとか言われたか。私の机の引き出しにだれが給食の残飯を捨てたか。学校の帰りに、私を田んぼにつき落としたのがだれか、やめてと言ったら、わかったと言って、それからまたつき落とした。
田んぼにつき落とした女の子はそれから転校していって、私はとってもほっとした。何年かたって、高校になって親しくなった子が、中学校で彼女とともだちだったと聞いて、どうしてあんな子とともだちになれるのかふしぎにおもった。私のことをなつかしがっていると聞いておどろいた。でも私は一生会いたくないと思った。

たぶん、たいしたことではないんだろう。悪気もなかったんだろう。でも私は一生会いたくないと思ったし、いまも会いたくない。

3年のときに、子どもをいじめた4番、6番、32番は別のクラスになった。でも校庭や階段で会うと、声をかけてきたり、背中を押してきたりするらしい。
上手に逃げろというよりしょうがない。

3月にいじめが発覚したときに、近寄らないとか声をかけないとか、約束してもらったことを、まだ有効だと子どもは思っているが、それを守らせるはずだった担任は、学年が変わって、すでに別の学年の担当だし、安全保障はもう、ないのだよ。さしあたってそのことを理解しなきゃいけない。

新しいクラスで、名前と顔がわかる子といったら、これは1年のときに、私の子どもを叩いた男子、これは2年のときに、私の子どもに「死ね」と言った女子、というふうで。
たぶん、わたしはあんたたちのことを、一生そんなふうに思い出すわ。

東京や大阪での在特会あたりの嫌韓デモの様子、「死ね」とか「殺せ」とか、そんな言葉を白昼堂々叫んで歩く姿は、常軌を逸しているし、くるっているとしかおもえないが、なぜ、民族差別禁止法がないのか、なぜそれを逮捕できないのか、不思議なほどだが、

学校という場所で、子どもたちは「死ね」とか「ぶっ殺す」とか平気で言っている。叱られても、反省もしないし、みんな言うからまた言うし。
でも世の中はそんなものだから、ソフトボールのチームでも怒鳴ったり怒鳴られたりするんだから、慣れていかなければと発言する保護者がいて、唖然としたが、

つまり、そんなふう。
新大久保や鶴橋でだけ、異様な光景が出現しているのではなくて、その異様さは、地方の名もない小学校のすみずみまで、いきわたっているんだわ。

私、いろいろ言われてきたが、「死ね」と「ぶっ殺す」は言われたことはない。でも私の子どもは、すでに幼稚園のときに「ぶっ殺す」と言われ、2年生のときに「死ね」と言われてる。
なんでそんなところに、子どもを通わせなきゃいけないのか。

「この地上には二つの人種しかいない。
品位ある人種とそうでない人種である。」

と言ったのは、「夜と霧」の著者、フランクルだが、学校というのは、教育というのは、品位ある人種をつくるためにある、はずだと思うんだけれどもね。