「訪問者」

月刊フラワーズ7月号が、萩尾望都の「ポーの一族」の新連載のために、異例の重版、というニュース。
だって私が、数十年ぶりに漫画雑誌なんて買いましたもん。「ポーの一族」も「トーマの心臓」も愛読書でしたもん。友だちっていうのは、それらのマンガについて、お話できる人のことでしたもん。
あの頃に買ったコミックまだ持っていて、んで、引っ張りだして読んでいる。
中学生の頃だ。薔薇を食べる人たちの話なので、そうか、薔薇って食べれるのかと思い、近所のつる薔薇が花盛りのころに、花びら摘んで、ジャムをつくろうとしたところ、飴になり、それを授業中にかりかり噛んでいた。薔薇の花びらを煮てお茶にして、檸檬を入れたら、色が一瞬でピンクに変わったのが魔法のようで、楽しかった。昔、そういえば「トーマの心臓」の絵が印刷されたハンカチーフをもっていた。雑誌の付録か懸賞だったと思う。そんでお弁当包んでた。とっくに失くしてるけど、思い出せばせつない。
萩尾望都大島弓子樹村みのり三原順……あたりを読んでたなあ。

別冊付録の「訪問者」は、「トーマの心臓」のスピンオフ。オスカーと父の話。コミックもってるし、知ってる話なんだけど、何十年ぶりに読んだら、なんか動揺して泣いてしまった。まさか、父と息子の話を自分ごとのように読むようになるとは思わなかった。
そんで夜中、雨の音を聞きながら、私の息子は、大人になったあと、私たちとこの家で暮らした日々のことを、どんなふうに思い出すのだろうなあと、思ったことでした。いつかすべて夢のように消えてしまうよ。
「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」というのはトルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭ですけど(大学のときに試験に出たので覚えている)、その逆もありだよと思うけど、ほかのどんな家にも似ていないこの家族のことを、ひとりで、どんなふうに記憶していくんだろう。

朝、玄関前の巣にツバメが来ている。いまごろ巣をつくって、これから子育てするのかな、とか、近所の別の巣では雛がもうピーピー鳴いているのに、間に合うのかなとか、よその家庭のことながら、心配。わが家の雛は、日に日に朝学校に行く時間が早くなり、帰る時間が遅くなる。学校がそんなに楽しければしあわせだ。