「詩人というのは
なる人ではない。
一人一人が言葉を持ち
それがやがて詩になる。」
子ども、自由帳にこんなこと書いてた。
どうしたのってきいたら、自分で考えたって言う。
どういうわけで?
☆
その子ども、
「いまどこかで、誰かが死んでいる」
って、ふいに言うからびっくりする。
いまどこかで、誰かが生まれてる、ってつづける。
いまどこかで、誰かが笑ってる、
いまどこかで、誰かが泣いてる、
いまどこかで、誰かが食べてる、
……とえんえんつづく。
いまどこかで、誰かが歩いてる、
きみにむかって歩いてくるよ、
「えっ」と子ども、
それでたぶん、5年後か10年後くらいに、出会うんだよ。
「へー」
素敵な友だちに出会うよ、きっと。
「ふーん」
☆
思い出すのはリルケの詩。
中学校のときに読んだんだ。
いまどこか……
「厳粛な時」 リルケ
いまどこか世界の中で泣いている
理由もなく世界の中で泣いている者は
私を泣いているのだ
いまどこか夜の中で笑っている
理由もなく夜の中で笑っている者は
私を笑っているのだ
いまどこか世界の中を歩いている
理由もなく世界の中を歩いている者は
私に向かって歩いているのだ
いまどこか世界の中で死んでゆく
理由もなく世界の中で死んでゆく者は
私をじっと見つめている
☆
思い出すのはひとつの死。
パヤタスで、パアラランに通っていた子どもたちの母親が死んで、その遺体を見たことがある。貧困の底で、疲れて、病んで、まだ若いのに老いて、痩せこけて、死んでいる。途方にくれた表情の子どもたち、末っ子の男の子が、ちょうど、いまの私の子どもと、同じくらいの年齢、背格好だった。私の子が、あのときの男の子ぐらいに大きくなったのだが。
あれから、住んでいた小屋を出て行き、身を寄せたグループホームも出て行ったと聞いたけれど、どうしているだろうか。
☆
地図。綴りがちがうけど。