待ちぼうけ

昨日のことだ。夕方4時半に、乗り継ぎのバス停で、息子と待ち合わせ、だった。
私は4時過ぎには着いて、そのあたりの公衆電話を探していた。近くのコンビニできいたら、このあたりにはないかもしれないから、必要なときは、ここの電話を使っていいですよ、と言ってくれる。一安心。そのあと、すこし離れたところに公衆電話見つけた。これでよし。

それからパパも来たが、息子はさっぱりあらわれない。授業は終わっているはず。同じクラスの女子たちはバスに乗って帰っていった。試験前なのにいったい何をしてるんだろう。待っていたら、ずいぶん怪我もよくなった足が、また痛みはじめた。日が暮れ始めて、雨が降り始めて、遅い時間のバスが来たあとも、まだ息子はあらわれない。
これは絶対、私たちとの約束を忘れている。さもなきゃ何かトラブルがあった。家に電話をかけたが、家にいても彼は電話には出ない。自分からパパのケータイに電話をかけるということもしない。

そこに、小学校のとき息子のクラスメートだったMちゃんのママがあらわれた。Mちゃんとママは、Mちゃんが3年生のときかな、フィリピンからやってきた。別れたお父さんが日本人。Mちゃんママは、近くの病院のデイケアで働いている。雨なのでバスで帰るという。私はMちゃんママが大好きで、久しぶりに会えてうれしい。故郷のひとに会ったみたいにうれしい。
あらわれない息子のかわりに、Mちゃんママを車で送っていくことにした。彼女を送っていくために待っていたのだと思えば、しあわせなことだ。

息子はとっくに家に帰っていた。約束は忘れていた。忘れた、というより、約束と思ってはいなかったらしい。ただ話だけのつもりだったらしい。
こういう行き違いは、私もよくやった。
待ちぼうけ、させたと思ったらこわいけど、自分が待つのはわりと平気。

1時間2時間の待ちぼうけって、よくあることだったけど、みんながケータイやスマホをもつような時代になって、待ちぼうけって、どうなんだろう。私もひさしぶりの気がする。待ちぼうけ。

息子には言った。これからは電話に出るようにしましょう。よくわかんない電話なら、わかりませんって切っちゃってもいいから。でないと今日のようなことがあったときに困る。パパのケータイの番号は覚えて、親の行方のわからないときは、そこに電話する。

ところで、最近は、おやつのりんごの皮むきが、彼の日課である。あまりに不器用なので、こわくて包丁もたせられなかったのだが、このままでもいけないし、練習しましょうかということになったのだが。
最初の日は、すこし剥いたところで、私がドキドキして耐えられなくて、とりあげてしまった。毎日すこしずつ練習している。なんか、もう、すりりんぐ。