びみょうな気持ち

5年生になってから使っている連絡帳には、日記を書く欄があって、毎日何かしら書かなければいけない。晩ごはんのあと、何を書けばいいんだ、書くことがない、と苦しんでいる。

何か書くことを手伝ってやる。ミシンにさわらせてやるとか、畑にネギを摘みに行かせるとか、将棋するとかオセロするとか。

昨日の夜も、何もない何も書けない、と言うので、書くことたくさんあるじゃん、パパに叱られたとか、って言ったら、そんなことは書けないし書きたくない、って言う。

それはまあ、あとで私が書きますけども、

書くことがないときは、読んだ本の話書けばいいよ、って言ったら、

もうそれしかないと思ったみたいで、書いていた。

井伏鱒二の「ジョン万次郎漂流記」を読みはじめました。早く読み終えたいと思います。

って内容でした。もうすこし何か書きなよって言ったら、その本のなかには「山椒魚」とか「鯉」という話も載っていて、そのふたつをさしあたり読んだらしいのですが、「感想はびみょうでした」って書いていた。

そうねえ、びみょうねえ。たしかにねえ。

で、パパに叱られた話ですが、これがまたびみょうで、書くと長くなりそうだなんだけど、ざっくり書くと、

ノートの字の汚いのが見つかったねえ、

字のことは、1年生のときからずっとパパに言われていて、パパが見ているときは、すこしは意識して丁寧な字を書いていたんだが、そうでないときは、そうでなかったんだよ。私が注意したって、ママに叱られるのは怖くないんで、上の空だったんだけども。

パパに叱られて、「見ていてください。明日からはきれいな字を書いてみせます」って言った息子、翌日はがんばった。

翌日だけ。

翌々日はふたたび、もとにもどっていて、バーンとノートを投げつけたパパは、「4年間言い続けて、このありさまか。もう学校へ行かなくてもいい、ピアノもやめろ。わしはもうお前のことを応援せんっ」と言い放ったのだった。

慟哭する子を、別に私は慰めてもやらなかったんですが、

「ママ、ぼくの弁護士をしてください」って、あとで頼みに来たのが面白かったけど、いやです。

それから、生きるべきか死ぬべきか、みたいにハムレットみたいに悩みはじめて、あれこれしゃべってくる10歳男子の頭のなかのあれこれが、すっごい面白かったんですけど、

「パパは過激だよ」とか、ぐすぐす言うのも面白かったんですけど、あんまり書かずにおこう。

あのさ、愛情は人に求めて与えてもらえるものではないよ。ママが、ゴミの山の子どもたちの学校を応援するのは、子どもたちが一生懸命勉強してたり、レティ先生が一生懸命教えているのに感動したからだよ。

でも、きみはパパを感動させてない。だからパパはきみを応援しないと言った。あたりまえでしょ。それはパパの自由だよ。

でも、きみも自由なんだよ。絶望する理由はない。パパがどうかなんて関係ない。自分がどうしたいか、だけです。自分の人生なんだから。

自分がどんな人間になりたいかは、自分で考えるんだよ。きれいな字を書きたいか書きたくないか、きみが決めるんだよ。勉強する人になるのかならないのか、ピアノ弾くのか弾かないのか、全部きみが決めることだよ。きみの人生なんだから。

というようなことを言いましたら、すこしは気持ちも落ち着いたみたいで、

じゃあ明日から、ああしてこうしてと、まるで修行のメニューを考えるみたいなふうなのが、また面白いんだけども、

何日つづくか知らないけども、

そろそろ、自覚、というようなものがほしいのはほしいよ、

息子、

「ママ、ぼくを励ましてくれて、ありがとう。ごろにゃーん」みたいなことで、それもまあいいんだけど、

何を思ったか、

「ママ、死んでもしばらくそのまま待っていてくださいね。ぼくは今度はママと双子で生まれたいんです」

って言った。

すごくびみょうな気持ちだ、私。