星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

人としてだめでしたから

11日から昨日まで、東京。
いろいろと、ほんとにいろいろと、お世話になりましたみなさま、ありがとうございます。

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上野公園は銀杏の匂いがしていた。ぎんなん拾いたいなと思ったけど、旅先で拾っても、この匂いをまとってどこへ行くのか。散歩するだけにした。
昔、10年間東京にいたとき、私、ぎんなんの匂いを嗅いだかしらと思った。 東京の記憶に、銀杏の匂いがひとつ加わった。 よかった。

12日、13日は、とても久しぶりに歌会にゆく。

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歌というのは、もともと、日頃の暮らしで声に出してはいけないことだから、こっそり書いておく、という意識が私は強くあって、たとえば、お昼の時間じゃないのに隠れて食べるお弁当、みたいなもの、いっそ見て見ぬふりをしてほしい、後ろめたさがあって、
だから歌は、差し出すことも受け取ることも、沈黙のうちになされることであるような気が、私はいまもしていて、
なのにそれを、おおっぴらに声にして話しあおうという、 歌会って、へん。

黙市(だんまりいち)って言葉は昔、津島祐子が小説のタイトルに使っていたのかな、内容は忘れたけど、タイトルは忘れられない。
たとえば歌は、黙市で、黙ってやりとりされるもののような気がする。水に降る雪みたいに。恋みたいに。
だから歌会って、黙市の、禁を犯しているみたいで、へん。

へんなところに、たまにゆくのは面白い。日頃会えないひとに会えるのは、ずいぶんうれしい。

13日は佐藤羽美さんの『ここは夏月夏曜日』の読書会で、 はるばる青森から来た羽美さんの、標準語は不思議なイントネーションだった。
むかし学生だったころ、方言学などという講義を受けたが、
そのときに見たイントネーションの分布図、東京イントネーションの地域、大阪イントネーションの地域、どちらにもあてはまらない地域、とだいたい三分割される、青森あたりのイントネーション地図はどんなふうなんだろうなあ。

  人としてだめでしたから ぽってりと潰れたしろい椿のつぼみ

という歌が、歌集のなかにあって、この、
「人としてだめでしたから」は、いつまでも心に残る。
というよりそれは、もともとここに、私のなかにあった声、という感じのする声です。

絶望という言葉があるけれども、絶望が声をあげたら、たぶんいろんな声があるだろうけど、そのうちのひとつは、この声だろうな。 
作者がそんなふうに絶望したかはともかく、
そういう声が、沈黙のなかにたしかに響いているのを、聞いてしまったのだとして、それを、白い椿の声のように語るあたり、伝説のはじまりのよう。

人としてだめでしたから わたしは短歌を書いていました
というようなことを、生涯の最後に書きのこす、という夢がふと心をかすめてすぎた。書きませんけど。

人としてだめでしたから

という、黙市の声。すこし目を伏せて歩く。すると椿のつぼみが落ちているのが見えたのか。