女子たち

まわりの子どもたちの動向を気にかけるのは、息子がコミュニケーションで躓くことが多いから、日頃から把握しておかないと何かあったとき対処できないからだったが、そうこうするうち、子どもたちの観察自体が、私の楽しみになってきた。子どもたちは、よくも悪くも面白い。

地元の中学に通う子たちと、バスのなかであったり道ですれ違ったりする。昨日の帰り道で、近所の同い年の女子3人組に、聞こえよがしに「制服似合ってないよね」「だっさー」と言われた。息子はもちろん無視無視。小学校2、3年の頃に、教室でからかわれたり、坂道をみんなの荷物もたされて帰ったときから、仲良くなれない宿命である。
言われたくないよな、あの学校の女子の制服こそ、ださいよ、と私が言ったら、息子は笑ったが。
だけど、ここらの中学校の女子の制服、もうすこし気を使ってやったらいいのに。安くないのに安物にしか見えない。もうすこしプライドもって着れるようなデザインとか考えてあげないと、かわいそうだと思う。
気になるのは、女子たちの壊れよう。卒業式で卒業証書もらうときの返事、みんな練習で叱られて叱られて、本番はまじめに大きな声を出していたが、ふざけた男子たちの声からはふざけた響きが消えないし、この女子たちの声は、まじめなふりしていても、ふてくされていた。
ひとりは、2歳年上の兄がうちの息子と仲良かったし、4年生くらいまでは成績もよかったのに。
学級崩壊が何年もつづく、というのは、そういう環境に何年も置かれるというのは、よくないのではないだろうか。さわがしい教室で教師の怒鳴り声を毎日きかなければならないとなったら、どっか壊れると思う。

息子が一番苦手だった女子のI(3年のとき息子は女子たちにパンツ脱がされたことがあったが、その首謀者だ)は、息子が中学受験を決意した理由のひとりだが、地元の中学にすすまなかった。地元の中学には女子ソフトボールのクラブがないので、越境して女子ソフトのクラブのある中学に進学したらしい。
よかったんじゃないかなと、思った。Iは、体がとても大きいということもあるのだが、小学校の基準服も、スカートの短いの、なんとかしてあげなよと親に言いたいほどの、似合わなさ加減で、荒れた感じが見てられない気がしたけど、ソフトボールチームのユニフォームはすごく似合っていた。それ着ているときは、別人かと思うほど表情もしっかりしていて驚いた。遠い学校に通うとしても、ソフトボールを続けるという選択は、正解の気がする。ちょっとほっとした。

自分を取り戻せる、自分に自信がもてる、自分が自分であることに安心していられるような、環境や行為や服装、をもっているということは、大切だと思う。