あどけなさが歩く

映画「さよなら渓谷」みてきた。
http://sayonarakeikoku.com/

ロケ地は秋川渓谷かな。一度行ったことがあると思う。このあたりの田舎にも、ありそうな景色だけど、いい景色だった。

真木よう子がいい。鬼気迫るあどけなさだった。
汚れて傷ついてぼろぼろのときの顔があどけない。

男を呼び出したあとひたすら道を歩いていく場面がいい。
あどけないものが傷ついたんじゃなくて、傷ついてもあどけないんじゃなくて、歩くうちにあどけなくなっていくんだと思った。あどけなさが歩かせているんだと思った。

アンゲロプロスの「霧の中の風景」で、姉と弟が、国境の川を渡るまで、ひたすら歩いてゆくのを思い出した。

傷つけられたり傷つけたり、愛憎も、復讐も、とんでもないんだけど、そういうものにまみれながら、そういうものをふりきるように、あどけなさが歩いている。
もしかしたら、パンドラの箱の最後に出てくるものは、あどけなさだと思った。

霧の中の風景姉弟は、国境の向こうにいるお父さんに向かって(実際はいないお父さんに向かって、いないとわかっていても)歩くんだけれど、

あどけなさは打算がない。求めているのはしあわせじゃない。

「さよなら渓谷」だが、
女は、帰ってこないと思う。
これも貼っとこう。http://sayonarakeikoku.com/tegami.html