星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

ほんのすこしの水

ほんのすこしの水。
こないだぱらぱら雑誌をめくっていたら、四方田犬彦が書いていて知ったんだけど、漫画家の岡田史子は亡くなっていたんだね。本もってたけど、どこにやったかなと思っていた。

Cimg9307



昨日の夜、この国の子どもの貧困について、特集している番組見てて、ほんのすこし、足踏み外したら、貧困に蝕まれて疲れ果てている母親に、たちまち私はなるだろう。親子でひたすら途方にくれるだろう。全然他人ごとでない、と思った。どうやってこの子を食べさせていけるのか、とか、見当つかんもん。ほんのすこし、何か事情が変わったら。
それでこの国で貧しいということの、痛ましさは、貧困がたちまち孤立につながってゆくことだなあと思う。

それでも、貧困という大きな問題に対峙するときに、必要なのは、ほんのすこしの水だよ、と思って、また岡田史子の漫画のタイトルを思い出したりしたんだった。(「ほんのすこしの水」っていうタイトルの本がある)それで探し出して(湿気てるし)、ぱらぱら読んでたりした。

... それはそれとして。

ほんのすこしの水。 貧困のために欠けてしまうあれこれのもの。ほんのすこしの水が足りなくなってしまって、途方もないしんどさや苦しみを負わなければならなくなる、というのが、貧困ということなんだと思う。
ほんのすこしの必要な情報、ほんのすこしのお金、勉強する環境、食糧、服、すこしずつが欠けていって、壊れてしまう自尊感情と人生と。
すでに日本の子の6人に1人が貧困だっていう。ほんのすこしの水が足りないばっかりに、悔しい人生にならなくてすむように。

昔、パアラランの子どもたちにしあわせですか、って聞いたら、しあわせって答えたことを思い出した。その理由は、神さまがいて、貧乏でも親が愛してくれて、ゴミ山があるからゴミを拾って家族を助けられるからっていうのだった。

パアララン・パンタオは、ほんのすこしの水を、丁寧に丁寧に補ってきたんだと思う。とほうもないゴミの山と、とほうもない貧困のひろがりを前にして。 ほんのすこしの水を。

それは、ほんのすこしの水を、絶対に虚しいことと思わない、虚しいことにしない、というレティ先生の覚悟だったと思う。

1年間、さまざまに助けてくださったみなさま、本当にありがとうございます。

https://readyfor.jp/projects/paaralangpantao