ヒロシマが語ること

テレビでニュースを見ないので、ぼんやりしていたら何にも知らずに過ぎていく。オバマ大統領が広島に来ることも、ニュースではなく、SNSの友人たちの書き込みから知ったような具合。そこからたどってニュースを読む。驚いた。本当に来るんだ。

厳戒態勢であるとか、修学旅行の子どもたちが予定変更を強いられたりしているとか。大統領は、小学生に順番を譲ってもらったってことですね。
謝罪云々の記事もあったけど、謝罪というものを、するかしないかはする側の自由で、される側が要求したり期待したりするようなことではないと、思うんだけど。

亡くなった被爆者の方たちのことを、思い出す。謝罪を求めるどころか、ヒロシマの惨状に、核兵器の悲惨さに、アジアの人たちにも耳を傾けてもらえるように、日本の加害行為を知ろうとし、むしろ謝罪さえしていた人たちだった。
私はそのことに打ちのめされる。
次元が違う。

アメリカ大統領にだって、ヒロシマを知る権利はある、と思う。
そしてヒロシマは、修学旅行の小学生に対しても、どこの国からの訪問者に対しても、法王や国家元首に対しても、同じことを語る。同じことを語るしかできない。祈りのようにそうする。これまでもそうだったし、これからもそうだと思う。そして、そのことだけが大切だ。


いちご、日曜日71個。月曜日31個。火曜日70個。そろそろ季節も終わりかな。にんにく63個も収穫した。