月を指す指

メモ。『池田晶子 不滅の哲学』若松英輔

「月を指す指は月ではない」(池田晶子『新・考えるヒント』)

「「月」は、万人の内に存在している。そこから美も正義も叡智も勇気も、そのときどきに応じて私たちを守護するために現れるのである。哲学とは、人を「月」へと導く道にほかならない。「月」を見る眼、それを私たちはしばしば魂と呼ぶ。」

「美は、醜の対義語ではない。美がなければ、醜いものなどない。美はいつも、醜を包み込む。善は、悪の対義語ではない。善の実在する力は、はるかに悪を凌駕する。」

「書くとは、無私の探究」

「作家とは言葉を託された者の謂いに過ぎず、語る主体が、あくまでも「言葉」であるなら」

「「読む」とは、考えを、あるいは「精神」の軌跡を、魂において見取ること」

「「考え」は、それが真実性を増すほどに無名性を深めていく。「私」から離れ、普遍へと向かってゆく。また、その瞬間、物質であるはずの書物が、別世界へとつながる窓になる。」

「哲学が(略)それは、生きていることこそが、非凡な経験だと気づく瞬間のことだと思っている」(池田晶子『私とは何か』)

「哲学は、誰にもすでに、また常に訪れている不断の現象である。哲学者の文章を読むとは、その人物に経験された「気づき」の事実を、時空を超えて目撃することである。」

………というようなことが、えんえんと書かれているのだが。
池田晶子の本を読んだことがない。なのでこの本ではじめて読むんだけど。
かつてどこかで読んだような親しい感触がするなあと思いながら読んでいたら、出てきた。小林秀雄
「美しい「花」がある。「花」の美しさという様なものはない。」
それから西行が出てきて、宮沢賢治も出てくる。

きっと「私という現象は」にすべてつながってゆく話なんだと思う。
なつかしい場所に、つながってゆく話だ、きっと。
そうであれば、
詩とは何かという話でもある。

月を指す指を、月と勘違いしないようにしよう。