ヒューマニティ

「私はパアララン・パンタオが、ゴミの山の子どもたちにとってだけでなく、他の人たちにとっても学びの場となることを願っていました。いまそれが、現実になったことがうれしい。」

と、交流会のときにレティ先生は言った。
80人ほどの若い人たちが集まっていたかしら。レティ先生のスピーチはとてもシンプルで、質疑応答のときも、特別なことは何も言っていない。
教育理論を言うでもなく、ただそこに、私のよく知っている自然体のレティ先生がいるだけだった。

97年頃だったろうか、前の古い校舎で、あのとき教室はすごい臭いがしていて、そうだ、天井裏でネコが死んでいたんだ、それでその臭い教室で、夜遅くに帰ってきた私とごはん食べながら、話したんだ。私が、学校のこれからのことを聞いたら、「そんなことわからない」って、レティ先生は言った。子どもが来るからクラスをつづける。わかるのはそれだけ。全部はできない。でも何かはできる。できることをする。それだけ。
その単純さを私は信じたんだった。

その単純さを20年続けてきた人はおそろしい。
パアラランの教育が、パヤタスのスラムの子どもたちにとってだけでなく、他の人たちにとっても何か大切な価値であることを、レティ先生は確信している。パアララン・パンタオは、英語だとスクール・フォー・ヒューマニティになりますが、ヒューマニティという言葉を、この人は、言葉だけではないものにした。

レティ先生のとてもわずかな、とてもシンプルな言葉が、あの場に生み出していた感動について考える。20年、ほんとうに他者に尽くして生きたら、もの書く人たちも、すこしは言葉を美しくできるかもしれない。小賢しく、ではなくて、美しく。退屈ではなく、感動であったり喜びであったり、そういうものを伝えられるかもしれない。たぶん、ほんとうに他者に尽くして生きたら。

私みたいな怠け者はどうしようもないと思うけど、パアラランにいる間、私、皿一枚洗わないし、十数年通いつづけて、英語もタガログ語もできないまんまだし、はっきり言って甘えてるだけなんだけど、こういう役立たずな怠け者にも存在価値を与えてくれるようなヒューマニティが、パアラランにはある。
それがすごく不思議だ。

そろそろ飛行機はマニラに着くのかな。来年まで会えないなと思ったら、ああ、やっぱり、あと何日か東京にいればよかった。