帰省 ⑥ 父のしわざ

15日朝、列車の時間まで、近くの和霊公園を散歩することにした。Cimg2012私、何十年ぶりに足を踏み入れる。木立のなかで、ふと父の気配。公園の門の柱が、セメントで木の切り株を象っている。これ、父のしわざではないだろうか。

 


そういえば、私が小さい頃、父は和霊公園の仕事を請け負って、私、連れてこられたことある。どんな仕事をしCimg2025たかまで覚えていないし、関心ももたなかったが、この切り株の柱は父の仕事の気配である。(いまは墓を移したが、以前のうちの墓に父のこの切り株模様の柱があった。) 
電話してみると、やっぱりそうだっていう。そこの仕事は全部やったよ、と。大きなすべり台も、ほかの古い遊具もそうだよ、と。父と、もうひとりの仕事仲間とでつくった。いきなり、ふいにあざやかに、コテをもった父の姿が浮かぶ。このすべり台をつくる父を、私はたしかに見ていた。かれこれ50年近く前だ。父、いま82歳だから、30代の仕事である。

Img_2132

 


柱はあちらこちら10数本あった。大きなすべり台はゲレンデ風で、かけのぼって、のぼりきれずにすべり落ちるのが面白い、というか腹立たしい遊具で、私は上までのぼれなかったんじゃないのかな。
宇和島の子なら、たぶん必ずこの公園には来る。遠足とかお祭りとか。来たら必ず、このすべり台で遊ぶ。50年後に自分の孫が遊ぶと思ったかどうかは知らないが、遊んでいる。
父さん、けっこう楽しい仕事をしてきたじゃないか。半世紀、そしてたぶんこれからもしばらくは、宇和島じゅうの子どもがここで遊ぶよ。少し、誇りに思っていい。
公園には蒸気機関車が置いてあって、息子はもっぱらそこで遊んでいた。

Img_2115




道の駅でじゃこ天買って、列車(この特急は振りこ式ディーゼルカーだと息子が教えてくれるが、何のことか私はよくわからない)とフェリーと乗り継いで帰る。いい天気で、海の青がきれいだ。この夏の旅行はこれで終わり。
楽しかったよ。

Img_2153