パアララン・パンタオ 2012年8月 ④

8月7日(火)
台風の激しい雨の音、その雨にも関わらず、朝4時には走っているゴミのトラックの音、で何度も目がさめる。こんなに激しい雨が、こんなに降りつづいて、ただごとではないだろうなあ。

朝、ロザリンが、庭の小さな花壇を、ずぶぬれになって、掘り返していた。水が、建物のほうに流れ込まないように、水路をつくっていた。それから、門の前の木の、のびた枝を伐採している。

教室も台所も雨漏りしている。台所は、ちょうど電気のところが雨漏りしているので、やってきたディヴィドが、電気の場所を付け替えていた。

ディヴィドは、レティ先生の姪のマジョリーの夫。自前のタクシーでやってきた。今はタクシードライバーをしている。エラプに住んでいるが、マジョリーが、パヤタスでサリサリストアをしているので、パヤタスとエラプを行ったり来たりしている。
今日は私たちの運転手。
タクシーをおいて学校の車に乗り換えて、雨のなかへ。

パヤタスからエラプへ向かう道の途中で、ダンプサイト(ゴミの山)がよく見えるところがあるんだけれど、雨でなんにも見えず。道はあちこち水が溜まり、車は水の上を走る。
山の道の上から見おろしたモンタルバンは、そこに湖があったかしらと思ってしまいそうなほど、水浸し。川も決壊寸前、もし川べりに小さな家々があったら(あるのだが)浸かったり流されたりしているだろう。

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このモンタルバンの川は、マニラのマリキーナの川につながっている。2年前の洪水でも、モンタルバンからマリキーナにかけての一帯が、大きな被害が出た。


エラプ校周辺はおだやか。ベイビー先生が来て鍵をあけてくれる。
ベイビー先生の三女のロレインもいる。スポンサーを探すから、あとで写真撮らしてねって言ったら、今年入学した大学のユニフォームに着替えてきてくれた。
大学は遠いので、毎朝4時半に家を出て、ジプニーなどを乗り継いで通う。
帰りは午後3時過ぎ。
大学の奨学金を申請する方法もあるが、もし大学の奨学金を貰うことになったら、午後の最終授業まで出席しなくちゃいけない。そうすると帰宅が夜遅くなってしまうから、体を壊してしまうだろう。もともと看護の勉強をしたかったのだが、体力が不安で、教師のアドバイスもあって、ポリティカル・サイエンス(なんて訳すのかな)を専攻することになったのだ。
ロレインのハイスクールの成績は、すべて85点以上というような、とっても立派なものでした。
私の記憶のなかでは、はじめて会った2歳の頃に、ゴム草履をいつも左右逆にはいていたのが強烈な印象で、いまも、笑うと、あの頃と全然変わらない。

ロレインに心あたりのある方は、どうか応援よろしくお願いします。
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教室は、一階の壊れていた床がきれいになっている。3階から見おろすと、向かいの家の子どもが手をふってくれる。ここの生徒らしい。

ひきつづき土砂降りの雨の中、エラプを出て、パヤタスに戻り、マジョリーの店で、娘のエイエを乗せて、SM(シューマートというショッピングモール)へ向かう。エイエは今日が11歳の誕生日なので、パパと一緒にお買い物、といったところ。4歳のとき会って以来だけど、フェイスブックで見てるから顔はすぐわかる。

パヤタスの近くで、家が崩れたらしく、レスキューが出ているよって言う。SMへ向かう途中の川も増水して、橋から人々が眺めているし、テレビカメラも来ているし、川べりの家々は浸水している。
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車で走っているとき、カレッジも休みで留守番しているグレースから電話。
「パヤタスが火事だ。帰るぞ」
ってレティ先生が言う。ええっ。この大雨の日に、なぜ、火事。
いったん車をとめて、もう一度電話してわかったのは、電気のショートか何かで、教室のテレビをつないでいたコンセントが燃えた、ということらしい。学校が燃えたのではなくて、テレビがちょっと燃えた、だけだとわかる。
それで、そのままSMに行く。
お昼ごはんとお買い物。いつもたくさんの人でにぎわっているのだが、さすがにこの大雨で閑散としている。
そこで子どもの服など買う。エイエが、ゲームセンターを指さす。遊びたいのだ。それで私は本屋に行くことにして、その間エイエはパパのディヴィトとゲームへ。
本屋では、日本語の折り紙の本が、日本での定価の4分の1で売られていた。買った。
それからドーナツ買って、帰る。

帰りの道で、道に門番のいるところに入っていく。中流より上、という感じのきれいな家々が並んでいる住宅街。レティ先生の親戚のおうちがある。
あがってお茶でも飲んでいって、ということになり、おじゃまする。
レティ先生のお姉さんとその子ども、孫、ひ孫たちが住んでいる。
「私たちは7人きょうだいで、みんな死んで、いまふたりだけ生きている。姉が85歳。私が70歳。」とレティ先生。

家で焼いたっていうチョコレートケーキがおいしくて、コーヒーもおかわりして、くつろぎましたが、そこのテレビで、台風情報流れていて、家々が屋根まで浸かっていたり、人々がボートで避難したり。避難センターで泣いて訴える人、はしゃぐ子どもたち。……の映像がえんえんつづく。すでに53人死んでいる。
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レティ先生は、お姉さんたち家族に、パアラランの古いジョークを話しては、大笑いさせている。
「パアラランにお金がないとき、日本に行って働こうって、言ってたんだよ。ナイトクラブは暗いし、お化粧したら、私がお婆さんだってわからないよ。でしょう?」
って、私に同意を求めるから、
「もちろん。だってあなたは70歳じゃなくて、たった17歳なんだから」って言ったら、また大笑い。
ちなみに私は、たとえばセブンティとセブンティーンの、ティとティーンの聞き分けが苦手で、ときどき買い物で間違える。

ところで、確認したのですが、レティ先生は、1942年生まれ、今年70歳になった、というのが正しい。
今まで私は、なぜか、1940年生まれ、72歳と思っていて、18年間、レポートなどにもそう書いてきたと思う。ごめんなさいっ。
どこでどうまちがったかわかんないんだけど、訂正ができるところは、これから訂正しなきゃ。
レティ先生は70歳です。いいえ、ほんとうは、たった17歳です。

夕方パヤタスに帰って、
ふと台所の冷蔵庫をあけたら、
ドアの卵入れのところに、へんなものがいる。トカゲかヤモリか。どつちにしてもリサールって呼ぶんだけど、一瞬のちには、おもちゃだってわかるけど、その一瞬前に、もう驚いて叫んでしまった。
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あんたたちはトカゲを食うのかあ。誰だよう、こんなものをここに入れたのはあ、グレースおまえだろう、って言ったら、グレースが、
「私じゃないない」って言う。グレースじゃなかったら、誰がこんないたずらするんだよう、って言ったら、
「私」って、レティ先生が笑った。

「日本に連れて帰っていいよ」っていうので、連れて帰りました。リサールくん。いっしょに生きていこうねえ、私たち。

ところで、高さんは、学校の映像を取りに来たのに、滞在中、まったくクラスがない。このぶんでは今週は一度も授業はなさそう。
雨がひどいのと、治安も悪いせいで、近いところも勝手に出歩けないし、ゴミ山周辺でカメラをまわすのは、危険だからと止められるし。
飛行機代も安くないところをわざわざ来てくれたのに、気の毒だったけど、いたしかたない。

夜またおそろしい雨音。雷の音。