ぼくはママをゆるさない  6

なんといっても、いじめられた子のお母さんなんだから、どんなに感情的になっても、泣いても怒ってもいいよ、とパパは言った。それはゆるされることだよと。ふふん、それはまるで特権階級、ノーメンクラツーラ。そうしようかと思ったけど、それもしんどいので、お手紙にもう、いいたいこと全部書いておわりにしよう、と思った。


追伸のメモ。

今回のいじめのあと、先生が、加害者の子どもの言い分をきいて、私の子どもに、ノートにひどいことを書いたと、あやまらせたことは、やはりどう考えてもまちがっています。
自分のノートに何を書こうと自分の勝手です。のぞき見したほうが悪い、それで傷つくのは見た方の勝手です。私の子どもをあやまらせてはいけないんです。それが他人のノートなら別です。でも自分のノートに自由に書くことを、とがめられていい理由はありません。たとえ、どんなにひどいことを書いていてもです。それを検閲してはいけない。
反省していただきたいです。私の子どもにあやまってほしい。叱るのなら私の子どものノートにひどい落書きをした32番をこそ叱ってください。落書きのページを同封します。3月1日、私の子どもが先生に相談した日の落書きです。

今回、いじめた子どもたちについては、以前からもいろいろとあって、私も何度かノートに書いたと思います。その度に対処してくださったとは思いますが、同じ子どもの名前が何度も出てきたら、関係に問題があるのではないかと察して、気にかけていただきたかったです。単に注意して謝らせるという事務的な対応しか、してもらってなかったのだと、悲しく思っています。親としては、よそさまのお嬢さんに、あの子は何かうちの子にひどいことをするのではないかと、うすうす気になっても、現場をみれないんですから、言えないわけです。先生を信じてあずけるしかないわけです。

小学校に入学するまえに、私の子どもはいじめられやすいので気をつけてほしいと、あらかじめ、校長先生にはおねがいいたしました。学校を不安がる子どもに、学校は楽しいよ、先生も友だちもやさしいよ、と言い聞かせて送り出しました。どの親御さんもきっとそうだと思います。
でも現実には裏切られつづけています。学校はどんなひどいいじめが起きるかわからないところだから、先生だってあてにならないんだから気をつけろ、と私は子どもに言わなければいけません。
教室で起きたいじめは、教室の責任者である先生の責任です。安全なはずの教室でこんなひどいいじめが起きたこと、私の子どもにひどい経験をさせたことを、先生は、私の子どもにあやまってくれましたか。親にはあやまらなくていいです。先生が悪いわけじゃないと思ってます。でも、子どもにはあやまってください。

いったい私の子どもが、どんな悪いことをしたでしょうか。何もしてないはずです。なぜ、被害者が加害者にあやまらなければいけないのか。教育的指導は、私の子どもに対してではなく、加害者の子どもたちに対してしてください。

いじめは、心のなかの不幸があふれでて、弱い者に向かうのです。
福島など東北の被災地では、DVが激増しているというニュースを見ました。そうだろうと思います。
でも、自分がどんなに傷ついても、だからといって人を傷つけることはしない、というのが人間の品位であるべきです。その品位を身に付けさせるのが、教育ではないでしょうか。

悪いことをした連中が、でも自分も傷ついたんだと、被害者づらして言い訳する光景を思うと、吐き気がします。そんな汚い真似を子どもにさせてはいけません。
自分が傷ついたんだから、人を傷つけてもいいというメッセージをあたえてはいけない。
まして濡れ衣でさえあります。先生までいじめに荷担したんです。

いじめた子どものお母さまたちが、自分の子どもが人をいじめたということについて、どんなに心を痛めているかと思います。いじめた子どもたちに対して、私自身は怒りはありません。しあわせな子どもになってほしいと思います。しあわせな子どもは人をいじめません。ほんとうに、しあわせな子どもになってほしいです。



というようなことをだらだら書いてて(ほんとにだらだら書いてるな)、そうか、教育の目的は、子どもの幸福なのか、と何かがすっと腑に落ちた。

子どもがいじめられて、私はショックで感情的におかしくなってるお母さんになってていいんですから、この特権を利用しない手はない。文章ぐちゃぐちゃでも、誤字脱字あっても、くどくても何でも、平気なんだという、これはふしぎな解放感だ。ふだんこんな手紙、いくらなんでも書けませんけどね、書いた。

同じものを2通用意して、教頭先生にも渡しますからと担任のほうにはメモして、午前中、学校に行って、教頭先生に会ったら、担任から朝聞いて、手紙も渡された、夕方、担任と一緒に、おうちのほうに伺いたい、と思っています、というので、それは困る、家のなかとっちらかってて、人がすわる場所がないし、私は掃除するのめんどくさいし、玄関は寒いし。私たちが学校にきます、ということにする。

クラス分けのことをあらためてお願いして、もうほんとは、それだけでいいんだわ。あと担任に一年間お世話になったお礼を言い忘れているので、子どもはとても成長したし、楽しんで勉強できたし、それはとても感謝しているので、伝えてください、と教頭先生には言った。

あとは、また夕方学校に行って、校長室でお茶飲んでこよ。ああ。毎年何かしら、出かけて行って、校長室でお茶飲んでるよなあ。