クリスマス・ツリー

クリスマスも近くなると、こっちの団地でも、あっちの団地でも、
窓や庭を電飾で飾る家々が何軒もあらわれて、
なかなかきれいです。

うちもそれをやりたい、と息子が言う。
そんなしんどいことは、いやです。

だいたい、乾電池にだって、触ったら感電する気がして、触りたくないのに、何がかなしくて、庭先に有刺鉄線はりめぐらして電流流すようなことをしなくちゃいけませんか。
掃除機も、洗濯機も、いつ感電しないとも限らないと思ってこわいのに。

えー、ママ、それは違うよ、って息子は言うけど、違うのは、わかってるけどっ。
つまり、そういうのは、ママには難しいってことなんだよ。

ねえ、ママ、うちにクリスマスツリー、ふたつあったよね。
はい、あります。もらったのがね。
出さないの? ふたつともだそうよ。

出したくない。
ええっ、どうして。
片付けるのがしんどいから。

考えてほしいんですけど、毎年のように、春ぐらいまで、いつだったかは夏まで、うちはクリスマスツリーが出しっぱなしでしょう。
ということは、そういうものを、季節ごとに飾ったり、また片付けたりっていう、サイクルが、うまくできてないってことなわけよ。
ということは、そういうものを飾るような暮らしを、私たちはしていないってことです。
だから、飾らない。

えーっ。

それに、冬休みになったらおじいちゃんとこ行くし、ケーキもそこで食べるし、欲しいものも買ってもらうし、いいじゃん、この家に飾らなくても。

息子、納得したのかしないのか。そのあと何も言ってこないが。出してやらなきゃいけないかなあと思わないわけでもないんだが。そのまえに、飾るスペースつくんなきゃいけないのが面倒なのさ。

ところで、こんな家にも、牛乳やさんやあれこれ営業さん来る。
ことごとく断っている。スーパーで買うより一個当たり10円高い卵はそれなりの価値があるのかもしれず、牛乳も買えば買ったで、飲むのかもしれないのだが、
営業さん喜ばせてあげたい気もしないではないのだが、

思うに、そういうことができるような暮らしはしていないのです。
お金のこと、という以上に、暮らしのこまやかなことへの心遣いとか、そういうなかできちんと位置づいてゆかないことは、きっと無理がかかる。

夏になっても片付けられないクリスマスツリーになる。

だからつまり、そういう立派な卵を配達してもらうような暮らしを、私たちはしていないのです。
そういうことを、まだ若い営業さんに伝えるのは難しい。そんな寒い中につったって一生懸命話されると、私、自分が悪人のような気がします。

息子、宿題の作文かかえて、やってきた。
黒田官兵衛の本読んだから、それ書くって言いながら、書かないで、また読みふけっている息子が、

「鳴かぬなら、それもよかろう、ほととぎす」

って、いきなり言うので、笑った。
それ、官兵衛が言ったの?
ううん、ぼく。

それ、いいよ。うん、ほんとに。