星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

秘密の国

図書館で見かけて、何げなく借りてきた本。ル・グィンの『どこからも彼方にある国』
ゲド戦記の作者が1970年代に発表した青春小説。
17歳の、周囲になじめなくて、架空の国を空想する男の子と、音楽でしか自分を表現できない女の子の話。さくさくっと読めて快かった。

エミリ・ブロンテの詩が引用されていて、なつかしかった。以前、夢中で読んだ。
ブロンテ姉妹と弟が、空想のなかで秘密の国のこみいった物語をつくりあげたという話もでてくる。評伝を読んだときにも圧倒されたけど、エミリ・ブロンテの、架空の世界へのひきこもりの強さは尋常でない。そしてその架空の世界のことを、彼女はかたくなに秘密にしたがった。

難攻不落の秘密基地というのは、まず、彼女がつくりあげた架空の国だと思うわ。

秘密の国をつくろうと思って、島の絵をかき、火山と森と花畑をかいたら、そのあとどうしていいかわかんないというような、私みたいなのの、すかすかの想像力とはわけがちがう。

憧れの、難攻不落の秘密基地。

エミリ・ブロンテは夥しい詩を書いたが、その多くが、架空の国の物語のなかの詩。ぞくぞくするような詩群だった。何千人も収容する地下牢があって、その地下牢の壁に残された詩、というのもあったような気がする。

さて、ル・グィンの本には、女の子が、エミリ・ブロンテの詩に曲をつけて演奏したという場面がある。その詩。

 富なんてくだらない
 愛なんてばかばかしくて笑ってしまう
 名誉なんて望んだところで
 朝になったら消えてしまう夢でしかない
 
 もしもわたしが祈るとしたら
 この唇からもれる祈りはひとつだけ
 「この心をときはなち
 自由をください」

 人生は疾(と)く過ぎゆき もう終わりも近い
 わたしが焦がれるのは
 なにものにもとらわれない魂と
 生も死も乗りこえてゆける勇気だけ!



オルコット夫人の「秘密の花園」の物語で、足の悪い男の子が、秘密の花園で歩けるようになる。それはほかのどんな場所でもなくて、秘密の花園でなければならなかったんだということは、その話を最初に読んだ小学生のときに私にもわかっていたと思う。家でも学校でも人のいるところならどこででも、否応なく歪んでいく自分も、そのような「秘密の花園」でなら、まっすぐすこやかなものになれると思った。

十代も後半の子どもたちに、秘密の花園はないのだが、心のなかの架空の国で、「どこからも彼方にある国」で、少年と少女は出会いました、という話。