ウィリアム・テルの話

昨日、雨のなかバス停まで息子を迎えに行って、一緒に帰る途中、彼は元町内会長の家に寄ってトイレを借りる。慣れてる。夏には水筒のお茶の補給をしてもらって帰る家だが…。また焼酎もってゆかねば。
選挙はすばらしい演説でしたよ、と先生に連絡帳に書いてもらっていて、うれしそうだった。とちったとわかったのはとちった本人だけだし。ほんとにどうってことないけど、彼には一瞬深い劣等感の淵になったんだろうな。いい経験したんじゃないのかな。

それで息子、「ママ、恥ずかしいことなんだけど、正直に言うね」って言うから、さて今度はなんだ、と思ったら「最近、授業中に何度か注意された」っていう。
何して?って聞いたら「何にもしてないけど」って言う。授業きいてなくて?って聞いたら「そうかもしれない」って言う。「聞いてるつもりなんだけど、授業の内容が、もう本とか教科書とか読んで知ってることだったりするから、聞いててもぼうっとしてくるし」って言う。

それが「恥ずかしいこと」ですか。なんかそれ、恥ずかしいほど優等生っぽい。

ママは、注意されたことある?」って聞く。
あるどころか。ママは一時期、毎日のように教室の後ろに立たされてました。
4年生のときかな。「どうして?」
それが不思議、どうしてかわからない。おとなしかったから騒いでないし、黙ってすわってたはずなんだけど、先生が、年とったやさしい男の先生で、怒ったりしないんだけど、後ろに立ってろ、って言うから、はいって立ってた。だからたぶん、ママも自分で気づかないうちにぼんやりしてたかもしれないし、授業は聞いてなかったかもしれない。
そうなのだ。どうして立たされたか、そのときもわかってなかったかもしれないけど、いまもわかんない。

覚えているのは、後ろに立たされると視界が変わったこと。黒板に向かっている先生の頭が、的に見えた。的に見えたので狙いたくなった。でも好きな先生だったので、頭を狙うのはさすがにできなくて、頭の上に空想のりんごを一個おいて、ウィリアム・テル、空想の矢を放つ。
先生、いま矢がとんでいきよるけん、動いちゃいけん。
と、祈る思い。
先生って、こんなふうに生徒から狙われなきゃいけないって、なんて危険な仕事だろう、というようなことを考えた。

立たされている時間は長い。スリリングな時間つぶしだったが。

……ウィリアム・テルの話は息子にはしないでおく。