帽子が

帽子、がきっかけではあった。
息子、卒業1か月前にして、6年間ではじめて登校拒否。

Aたちのことがあるから学校にいくのがこわい、のはこわいが、漢字テストがあるから行くつもりだった。
ところが朝、登校前に、通学帽が見当たらない。たぶん昨日、放課後に待ち合わせた公民館で落としたのだろう。
いつもと違うことが起きて軽く涙目。きっと帽子は出てくるし、いまさらなくなってもどうってことないと、安心させるのにちょっとかかったが、いつものように玄関を出るには出た。

出るには出たが、道に降りられず、振り向いて、「どうしよう、学校に行けない」と青ざめた歪んだ顔で言った。
パニック。
(微熱や過呼吸はときどきあったが、こういうタイミングのこういうパニックははじめてかな)

学校に電話。折り返し担任から電話。
息子と話してもらう。息子は、パニックがおさまってからじゃないと何も考えられないし、おさまるのは多分1日かかります、今日は家で勉強します、と自分で言っていたが。
今度のことは、もう学校じゅうの先生が知っているし、休み時間や移動がこわければつきそうし、全力で君を守るからと、息子は言ってもらったらしい。電話の途中からすこし息子の声があかるくなった。
5組のふたりのAをはじめ、相手の子たちについては、親ごさんにも話すし、きちんと対応しますから、という。
今日は休ませて様子見ますね、と先生に言うと、もし来れるようなら、どの時間からでもいいので、来てください、ということで。

ということはよ、学校中の先生が、あんたのボディガードなわけよ?
しばらくすると息子の顔色も心拍数ももとにもどったふうなので、きいてみる。あとから行く?
「うーん、しんどいかなあ」
来るなら、給食も用意するってよ、給食食べに行く? と言うと、
「そこかよっ」と笑った。そこだよ。

しばーらく悩んでいたが、今日は行かないと決めて着替えていた。
私もほっとする。がんばって学校に行こうよ、というような声をかける気にならない。
6年間、いろいろハンデもあるなかを、これ以上がんばれないくらいがんばってきたよと思うもんね。
好きに過ごしていいよ。

息子が小学校に上がるとき、それから低学年のとき、
療育の先生たちから言われたことをふたつ覚えている。
「こういう子は、学校は行くものと決めてあげたほうが楽ですよ」ということ、
「勉強が好きだから、何かあっても無理して学校に行くだろうけど、我慢はさせないでください」ということ、
このふたつのことのバランスをずっと測りながら、それなりに綱渡りの感じだった。

でも考えてみると、先生たちは守ってくれるって言うし、ふれあい教室ではYくんが歓迎してくれるっていうし、
夕方には、クラスの友だちから電話がかかってきて、息子も「じゃあ、月曜日にね」とか軽やかに言ってるし。
自由自在の感じですけど。
ふうん、月曜日には行くのか。

今日は家で勉強します、って先生に言ってたけど、
まあね、地図帳ひらいて、時刻表めくって、Nゲージの本眺めて、悠然と遊んでいた。

帽子も、無事、公民館から戻ってきた。