Rについて 5

 引き続き。朴寿南の文章をつづける。

「少年は『それをした私』である主体と犯した行為──体験のあいだを隔てている『ヴェール』、『私に殺された彼女たち』の死と『それを思う私』のあいだの乖離を『人を殺しても無感動な』『私の本性』と名づけている。(略)漠々とした、虚ろな犯行の体験と自分のあいだの『断絶』、それは意志する主体のない──いわば犯人不在の犯行なのだ。」

「経験した主体自身が自己を奪われたものであるとき、おのが行為そのものからさえ剥離され、疎隔されていくのではないか。『ヴェール』に覆われているのは、自分であって自分ではない主体の裂け目であり、少年の存在の矛盾の裂け目なのだ。その魂の亀裂そのものが、少年のいう『恐ろしい本性』をやしなった基盤なのである。」

最初の殺人のあと、「夢のような」「自分のものではない」犯行を、わがものにするためのように、李珍宇は作文を書いて投稿する。だが、事件は迷宮入りになり、事件を供述した応募小説は没になる。
「このとき、少年にとっては『完全犯罪』の成功は失敗なのである」

「少年が告白しているように、つかまらなかったら、あるいは外へ釈放されたら、少年は、いく度も、くり返し人を殺しつづけるだろう。『自分のものではない』『夢』のように『私に殺された彼女たち』と『私』とのあいだの飽くことのない統一と合体をもとめて──。このとき『私に殺された彼女たち』は『ヴェール』の向こう側に引き離されている少年の自己であり、少年が失ってしまった純真な魂なのである。少年は自分と自己とのあいだを隔てる乖離を狂気を翼に飛んだのだ。」

「少年は『自分のものでない』行為の確認を二度目の殺人のあと、執ように外部──新聞社や警察──にもとめる。事件が事件として存在するのは、他人との関係においてのみ成立するからである。それは事件の主体である少年の不在そのものがおのが存在である認知を他者によって見出すためなのだ──」

 金石範の『祭司なき祭り』という小説は、この事件を描いている。
 次のようなくだりがある。

「日本人が物陰にかくれて指さす幼いチョーセンジンという名のケモノ。おれは全身目に見えない毛に覆われたケモノではないのか。幼少のころ一人暗闇のなかで、自分がニッポンジンという名のヒトに襲われる臆病なケモノのような感覚に身を震わせたとすれば、いまは違うのだ。おれはいままで、豚が自分の産んだ仔豚を食べるように、その幼いチョーセンジンのケモノを自分で食べて成長したので、もはや臆病なケモノではない。森の頂きからトリデを越えて飛ぶ鋭い爪をもった鳥だ。チョーセン!そんなものは世の中にいやしないのだ。」

 彼は日本人ではないからという理由で就職できなかったが、しかしなぜ、自分が朝鮮人なのかわからない。両親がそうだからといっても、自分のなかには、ふるさととしての朝鮮も何もない。言葉も生活感覚も日本だ。だが、日本人でもない。
 少年は幾重にも疎外される。朝鮮からも日本からも、半日本人としての自己からも。ありのままの自己は語ることができない。(なぜなら、ありのままの自己は、存在をゆるされないものであるから)。

 李珍宇は逮捕される。

 知能指数もきわめて高く、精神鑑定も「変調」だが「精神病」ではないため、責任能力ありとして、李珍宇は少年法の適用を認められず、刑事責任を追及されることになる。精密な精神鑑定を要求する弁護側の主張もいれられず、上告で死刑が確定する。          

 李少年を助けようとする運動の拡がりと恩赦の出願にも関わらず、異例の迅速さで、1962年11月、刑は執行される。珍宇22歳。

 李少年を助けようとする運動……日本人の運動として「李少年を助けるためのお願い」(1960年9月)が出された。大岡昇平木下順二、旗田巍、吉川英治渡辺一夫らを発起人とする。

 趣意。「私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります。」

続きます。