生活史

学生の頃、在日朝鮮人女性の被爆証言の聞き書きをしていたころに、被爆二世の男の人から言われた言葉を、ふと思い出した。
「男の歴史は権力闘争史、女の歴史は生活史」
ちょうど母が死んだあとだったので、私は、母から聞き損ねた生活史を、母と同世代の彼女たちから、聞かせてもらっているような感じがしていたのだった。


「八月の光」(荒牧三恵歌文集)を読んでいて、そのころのことを思い出した。80代半ば、私の母と同世代の女性の、苦しいことも多い生活史、というノンフィクションの手触りが、喚起するものの、なにか慕わしさ。

アメリカ移民にとっての開戦と敗戦、戦後の広島、子どもを置いて婚家を逃げ出した後の生活闘争、職場の上司を通して知る横浜事件(戦中の言論弾圧事件)のことも、生活史に寄り添ってたちあらわれる。

たぶん。短歌と言う形式の最良の美質のひとつは、沈黙のなかの生活史に寄り添える強さだと思ったりした。

  開戦記念日と言うなわが父母が日本に棄てられし日なり十二月八日 (荒牧三恵)

もし母が生きていたとして、私は母の人生を聞くかしらと考えたときに、聞かないと思う。最初の夫が死んで子どもを置いて都会に働きに出たときに、どこでどんな仕事をしたかとか、誰と出会って誰と別れたかとか、孤独とか貧困とか、どんなふうに侮られて生きたかとか、話したくもないと思う。
私だって、自分の子どもに、あれこれ喋りたいかと言ったら、喋りたくないもん。

いつだか、子どもに聞かれたときに、私は「夕鶴」の話をしましたね。のぞいたら、鶴はいなくなってしまうよ。
そういうことは、大きくなってから、ひとりでこっそり探しにゆけ。

 夕暮れて子の泣く家の窓硝子行き過ぎるときぽっと灯りぬ (荒牧三恵)