パアラランの同窓会

28日、パアラランに1996年に留学していた男の子と、2004年かな、に留学していた女の子の結婚式。もとい。フィリピン大学に留学中に、ゴミ山のフリースクール「パアララン・パンタオ」に住んだり通ってくれて、支援の活動をサポートしてくれたふたりの結婚式。

朝、式場近くのホテルのレティ先生たちを訪ねた。
親戚のアルが車で迎えに来てくれて移動。レティ先生、車椅子。足の悪いのが心配。

結婚式披露宴二次会と、ずっとレティ先生たちと一緒。一緒にいられてとってもしあわせ。
留学中にパアラランに通ってくれた人たち、一緒に支援をはじめた人たち、再会できて、レティ先生かこんで、パアラランの同窓会をしていた。そんなふうにできるように配慮してくれたんだと思うんだけれど、楽しかった。



29日、レティ先生の足が悪いので、タクシーで移動すると、どれくらいかかるだろうと、おびえていたんですが、友人が車を出してくれて、一挙解決。
スカイツリーを近くから見上げて、ごはん食べて、東京駅、銀座あたりも行って、夕方から、表参道で、懇親会。
平日の夕方というむずかしい時間帯だったので、少なかったのですが、ほのぼのとやりました。そこで話が出て、フェイスブックに、パアララン・パンタオのグループをつくることに。
支援をはじめたころは、電話もなくて、ケータイもなくて、手紙がまた、届いたり届かなかったりしていたのに、いま、一瞬に声も言葉も写真も届くようになっていて、もう信じられない変化だ。
グループにつかまってもいいという方、フェイスブックのほうで探して、連絡ください。

夜、親戚のアルが迎えに来てくれて、レティ先生たちと一緒に途中まで帰る。帰り道で、夜のスカイツリー見た。
私が泊まっているカプセルの、ほんの近くから見えるんだなあ。

2月に上京したとき、ほとんどできあがっていたスカイツリーを見に行こうと思ったら、その日に限って大雪で、地下鉄と電車と乗り継いで、すぐ近くまで行ったけど、何にも見えなかったのに、なんだ、歩いて行ける距離だよ。Cimg0978 



30日、夕方、大学内の教室で、レティ先生を囲む会。学生たちが準備してくれていて、80人くらいいたかしら。
教室に入ったとたんに、レティ先生の顔がぱっと明るくなった。

司会は英語とタガログ語と日本語つかっていたかな、それで、レティ先生が挨拶して、息子のジェイも挨拶して、だれか通訳してくれるかなと思っていたら、レティ先生たちと一緒にいてくれた卒業生が、「みんなわかってるみたいだから、いいですよね」って言うし、パアラランの最近のビデオを見ながら、ジェイが話してくれているときも、英語だけだし、質疑応答も、学生たち英語で質問してるし(でもこのときは、必要に応じて通訳あったけど)。

つまり、この空間で、あからさまに落ちこぼれているのは、英語のわかんない私で、教室で机にすわってなくて、うろうろと立ち歩く子どもはきっとこんなふうなんだなあと、思いながら、うろうろ立ち歩いていた。

パアラランの教室のビデオのなかで、うろうろ立ち歩いている子がいて、めちゃめちゃシンパシーだったな。

最後にだれか、困っていることは何ですか、と質問したのかな、
お金の問題です、とレティ先生が言った。

いろんなことが変化して、奇跡のように学校は続いているけれど、
お金がない、という困難だけは、18年前と変わりない。
うすうす気づいていましたが(いえ、経理のレポートを毎年あげてもらうのではっきりわかっているんですけど)先生の給料は異様に安い。
公立の学校の教師の初任給は17000ペソ(34000円くらい)。なのに、パアラランの先生はベテランでも8000ペソ(16000円)、初任給は3000ペソ(6000円)。

先生の給料を月5000ペソあげるためには、年間たぶん100万ぐらい余分に必要で、2000ペソあげるためだけでも、50万円は必要で、でも一度給料あげたら下げられないから、毎年コンスタントにそれだけ余分に確保できるのでないと、あげるにあげられない。
……と、数字の計算をはじめると、たちまち胃がきりきりしてきた。

1995年に、学校が資金が底ついて潰れそうで、レティ先生あまりに疲れていて、それを見てるのがつらくて、せめてお金の心配くらいはしないでいいようにと思って、支援グループたちあげたんだけれど、でもやっぱりずっと、お金の心配させつづけているんだなあと、私自身の惰性であるとか、怠け心であるとかは、自分でわかるので、そこらへんの自分のいたらなさが、……なんというか、あいすみません。
いろいろと問題はあるんですが、でも、私たちは、しあわせにしかならないと思ってる。
レティ先生はきっとそう思ってる。 子どもたちも私たちも、しあわせにしかならない。

学生たちと一緒にいるとき、レティ先生がほんとに楽しそうで、私はそれを見てるのが、なんかすごくしあわせだった。
本当に、たいへんありがとうございました。