日蝕と、苺の日々

21日の金環日蝕のことを、子どもはどこで知ったのか、一ヶ月ほども前から言っていて、日蝕グラスも用意していたのに、前日ぐらいになって、ちょうど朝の登校の時間、バスにのっているぐらいの時間だと気づくと、あっさりとあきらめた。
始業時間には間に合うし、あとで送ってってやるから、一緒に見ようようって私は誘ったのだが、
「そんなわけにいかない」のだそうだ。
通学班で一緒に行かないと、まずいと思うわけ?
「そう」
いじめられる?
「たぶんね」
でも今年は3年生5人もいるけど、誰とも同じクラスじゃないから大丈夫だよ。
「だけど…」
とにかく、子どもはいつも通りに家を出た。日蝕グラスを持っていくかって言ったらそれもいやだと言った。
「いらないものを持って行っちゃいけないんだ」
子どもは学校に行った。日蝕も見ずに。

つまらん。子どもが学校に行ったあと、私がすごくつまらん。
一緒に日蝕見れなかったのもつまんないし、いずれは、群れから逸脱せずにいられない人生なのに、逸脱をおそれるようになっているのが、なんかすごくつまらん。
ルールは絶対じゃないよ。自分が何をしたいかが大事。それで、社会と自分との間の折り合いのつけかたを、ひとつひとつ柔軟に考えていくんだよと私は言いたいが、通じないしっ。

ひとりで日蝕見た。Img_4561 


このあたりは金環日食でなくて部分日蝕日蝕最大の頃の太陽。雲で隠れてるのか日蝕で隠れているのか、わかんないね。ひんやりした空気のなかを、カラスがけたたましく鳴いてとんでいた。
Img_4581











日蝕の映像、面白いの見つけたので、帰ったら見せてやろう。
http://www.youtube.com/watch?v=40SzSbIXxI8&NR=1&feature=endscreen



畑のイチゴは、数日間、毎日300個ほども採れていたが、昨日は半分くらいになった。そろそろ最盛期も過ぎたかな。
あちこち、近所に配って歩いた。

昨日の午後は、アスパラガスとさつまいもを植えた。
イチゴを摘むのにもう飽きて、あとまわしにしていたら、近所のお母さんが、幼稚園児ふたり連れて通りがかった。下の男の子が、いちご見つけて飛びついて食う。いい子だ。
「だんごむしがいる」と叫ぶ。だんごむしは食わない。赤いのを食べればいいのに、赤くないのも食っている。いやしい子どもは好きである。
イチゴ、それでなくなるわけでもなく、下校時間、5年男子が通りかかったので、イチゴいらないかと声をかけてみたが、「いや、けっこうです」とお断りされてしまった。働かせようと思った魂胆がばれたかな。

仕方ないので、自分で摘んだ。

水やり終えたころ、6年女子が通りかかる。イチゴいるってきいたら、いるって言う。いい子だ。ついでに家まで、あれこれの道具運ぶの手伝ってもらった。

毎日、皿に山盛りのイチゴ。毎日、イチゴジュース。イチゴに砂糖かけてレンジでチンして潰して、冷やしてバニラアイスにかけて食べたら、えらくおいしかった。

あと数日の贅沢。
パヤタスの子どもたち。1994年12月 乾期の夕暮れのダンプサイト