8月前半、広島にいなかったので、ニュースもろくろく見てなかったけど、
「はだしのゲン」の話は驚いた。
松江市教育委員会が、「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求め、各学校がそれに応じているという話。
にわかに信じられなかったが、阿呆すぎるだろう。
「はだしのゲン」を、私は大人になるまで見たことがなかった。東京で、児童館で働いていたときに、そこの図書室に置いてあって、読んだ。でも全部は読んでないと思う。
パパは、少年ジャンプに連載中に、小学生だったが、夢中で読んだそうです。おおっ、広島の話やないか。ここまで書いてええんか、とドキドキしながら読んだって。
「焚書と同じやないか。国亡ぶぞ。」
と、言った。
それで、いきなり思い出した。
昔、私に、被爆体験を語ってくれた韓国人のおばあさんが、学校に行けず読み書きができない人が多かったなかで、女学校まで行った人でしたが、
その人が、
「焚書坑儒という言葉があるやろ、それは儒教を弾圧したということやが、李氏朝鮮は仏教を弾圧したんよ。」
という話をしてくれたことがある。
「なんで李氏朝鮮が亡んだか、うちは、それは仏教を弾圧したからやないかと思う、宗教や思想を弾圧したら、国は亡ぶと思う。日本もそうやったろう。」
と、その人は言ったのだ。国が亡んだ理由を、つまり、自分が日本で被爆しなければいけなかった理由を、その人はそのように納得したのだった。
思い出して、ちょっと戦慄した。
抗議の署名する。
☆
ところで、私は広島弁を嫌いです。
広島に来て、はじめて広島弁を聞いたとき、なんてきたない言葉だろうと思った。なにかとんでもないところに来てしまったようで、これからこの言葉のなかで暮らすのかと、不安になったのを覚えてる。バイト先のパン屋のおじさんが、広島弁で怒鳴るのがおっかなかった。
が。
「はだしのゲン」の広島弁は、広島弁でなければいけない、と思う。
これはうそのニュースだけど
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ゲンから広島弁をとりあげたら、魂が抜ける。
絵も言葉も思想も、表現は、魂のまるごとの葛藤でしょう。
残酷なのは、表現ではなくて現実のほうだが、むろん。
ここは読んでいいとか、ここは読んでいけないとか、歴史修正主義者だか在特会だか知らないけど、へんな連中につけこまれた、半端でへたれな大人が指図するんじゃねえ、と思う。
子どもは、まるごとの葛藤を受け止めて育つ、と思う。侮るな。
☆
それで、私は広島弁を嫌いなんですけど、
うちのパパは、実にすばらしい広島弁を使うのでしたよ。
怒ったときは、広島弁に限る、と思う。
この人の広島弁は、ほんっとにえげつないので、
私はときどき死んだふりをします。