星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

花束

勤労感謝の日。母の命日。
ちょうど30年、と気づいて、母さんのいない世の中を30年も生きてきたのか、と思ったら、めまいしそうだった。

母のいる家が、家だったので、母がいなくなったら、わが家は必然的に崩壊したのだが、のこりの家族は、なんだか瓦礫の破片のようだ。てんでんばらばらに生きて(弟はまた行方不明だ)、壊れながら生きて、かろうじて生きてる、が。

畑に、赤い小菊がたくさん咲いていたので摘んだ。
摘みながらふいに、行商のおばさんが置いていった花束のことを思い出した。30年前、母が死んだあとに。

家は道路に面してあって、鍵をかけたこともない引き戸で、土間がひろかった。花売りや海産物売りの行商のおばさんたちが来ると、母はお茶なんか出して、おばさんたち、上がり口に腰掛けて、しばらくお喋りして、休んでいくのだった。

私が小学生3年ぐらいのときかな、雨の朝に、母は、家の前で雨宿りしていた乞食のおじいさんを家に入れて、足ふいてあげて、ごはん出してあげていた。それから小遣いと傘をもたせて送り出したことがあった。私は母さんと一緒に表に出て、おじいさんの傘が見えなくなるまで見送っていた。

母が死んだあと、行商のおばさんたちはもちろん来なくなったんだけれど、お正月前に、花売りのおばさんがやってきて、かあさまにあげてくだされ、ってお花を置いていってくれた。

行商のおばさんたちが立ち寄って休んでいた。玄関には、おばさんから買ったあれこれの花が、無雑作に活けてあった。毎晩のように、隣人やら親戚やら、友人やらが出入りして、鍋に、だれでもお腹がすいたら食べれるように、ゆで卵がたくさんつくってあって、そういうの、何でもないことのように思っていたけれど、娘のほうは、そんなふうには生きられないみたいだ。

呼び鈴が鳴ると、なんの押し売りかと警戒するし、家のつくりも閉鎖的で、誰でも勝手にあがっていいよっていうふうじゃない。おばさんたちの愚痴に耳傾けてあげる余裕が母にはあったけど、私は隣人と余分なおしゃべりをする気力もない。

部屋に西日がさして、私は寝転んで、母と行商のおばさんたちの話を聞くともなく聞いていた。のんびりした時間。私はそれを再現できないんだけれど、母がつくってくれたあんなふうな空間、生命空間がなかったら、私は人生をもちこたえられなかっただろう、という気がする。

命日だし、花でも飾ろうかな、とちょっと思ったんだけど、この家、花を飾れるような家ではないのだった。きっと、テーブルを片付けてる間に、花は枯れるわ。すこし摘んで帰ったのを、台所の、インスタントコーヒーの空き瓶に挿した。

 知らないと気づけばさびしい 母さんが好きだった花 なんだっけ
 
ごめんね、母さん。あなたの娘はこの程度だ。