街道をゆく、の頃

ふと目にとまって、読みたくなって、中古本買ったら、昔の文庫本って字が小さい、そろそろつらいのでしたが、読んだ。昨夜、パパも聞きたがるので、100ページを超える読み聞かせ、ついに声がでなくなるほど、喉がかれた。

で、何を読んでたかというと、司馬遼太郎街道をゆく」南伊予、西土佐の道。私の故郷のあたり。パパは帰省するとき車を運転するので、だいたい走った道である。

はじめて読む、と思うのだが、すでに読んだことがある、とも思う。なんでって、知ってる話ばかりだから。伊達の殿様が来たときのこととか、和霊神社のこととか。成功した吉田の一揆のこととか。幕末に黒船をつくったが、それは提灯屋に作らせたのだとか。
私の父も空襲で焼け出されたが、そのとき燃えたのがどのあたりかとか。私が生まれたころに住んでいた家の近くにあった病院は、この病院には坂本龍馬が来たことがあるというのが医者さんの自慢だったけど、本には、坂本龍馬が脱藩したときに宇和島に来たことはたしかだということも書いてある。

龍馬先生のことでいまもわからない謎は、子どものころ魚売りの行商のおばさんが、「それは龍馬先生が好きやった魚よ」と言った、あの魚は何だったろう、ということだ。

松野のほうから予土線沿いの物語、あの田舎で、米やら何やらを奪いあっての争いの様子が、目に浮かんでおかしい。宇和島藩から吉田藩が分家して、土地に境界線ができると、山の資源をめぐって争いが起きる、らちがあかないので、江戸まで300里、陳情にゆくのに、山の精巧な模型を作って、6分割したのをもっていったとか、その模型を昭和40年代になって営林署が使用したとか。
あのあたりの山の、ほんとにひたすらな山道を思い浮かべ、渓谷にいたる道には「猿もしめてるシートベルト」っていう標識があったことを思い出して、また泣くほど笑う。

明治になって佐賀の乱で敗れた江藤新平が逃げたのは、どの道から山に入っていって、どこに出て、どこで捕まったか、とか。彼は晒し首にされたんだな。

街道をゆく、の頃から、ずいぶんたって、上書きしないといけないことはたくさんあると思う。映画館はもうないし、高速道路ができて、街のかたちが変わっていった。

それから、いろいろ気になるので、グーグルマップで探しはじめる。
ストリートビューでたどる、子どもの頃の道。
幼稚園のときに引っ越して以来、ほとんど行ったことがないのだが、ああ、なんにもなくなってる。私たちが出ていったあと、歯医者さんになったはずの場所に歯医者はなく、隣の魚屋もなく、私がお金を払わずにお菓子をもって帰っていた向かいの駄菓子屋さんもない。自転車にひかれて道に転がっていた私を拾って連れて帰ってくれた米屋さんはどこか。ロマンポルノがかかっていた映画館(「旅の重さ」という映画に出てくる)もとうになく、その向かいの揚げ物屋もない。昔、精神科の病院だったという古い洋館はどこだっけ。喘息で、いやになるほど通った小児科もない。
散髪屋のくるくるまわるネオンに、どうしていいかわからないほどときめいたのだが、あれはどこの散髪屋だったろう。
変わらないと見えるのは、山にはりついている墓場。

司馬遼太郎の「花神」を読んだのは中学2年の頃だが、また読み返してみたくなった。あれは宇和島がたくさん出てくる話だ。