触れたら、指の先から涙になるかとおもう。なつかしすぎて、動揺する。
河津聖恵さんの新刊『闇より黒い光のうたを〔十五人の詩獣たち〕』(藤原書店)読み終えて、また読み返して、でもたぶん、本を読んでいるより、個人的な記憶のなかをさまよっているんだけど。
取り上げられているのは、尹東柱、ツェラン、寺山修司、ロルカ、リルケ、石原吉郎、立原道造、ボードレール、ランボー、金子みすゞ 石川啄木、宮沢賢治、小林多喜二、原民喜…。
立原道造にここで出会うなんて。
人生で一番最初に詩集というものを手にしたのは、年の離れた兄が都会から帰ってきたときに持って帰った、中央公論社の日本の詩歌全集、そのうち年上の従姉がもっていった残りの十数冊。そのなかで一番最初に好きになったのが、立原道造の詩だった。もしかしたら詩よりも、道造のきれいな顔の写真をもっと好きになった。12歳の春。たちまちいくつかの詩をおぼえた。思い出すと、郷里のあの田舎の春の景色のなかを歩いていたのか、道造の詩のなかを歩いていたのか、わからなくなりそうな感じ。あの頃に読まなかったら、また違う印象だったのかもしれないけれど、とにかく私は、あの薄紫色の表紙の詩集をひらきながら、きれいな顔の写真と美しい詩の言葉とを交互に眺めながら、中学時代を過ごしたのだった。
ここではないどこか、をあこがれる気持ちとともに、思春期のはじめに、初恋みたいに、立原道造の詩に出会った。
それでそういうことは、ずっと秘密にしておきたいようなことでした。
わかれる昼に
ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ
何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに
弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核(たね)を放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ
ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ