一輪の花の幻

8月7日。
縮景園なら、ぼくがきよえちゃんを案内してあげる。
と、縮景園大好きな息子が言っていたので、じゃあ、県立美術館に行って、縮景園に行って、それから駅まで送っていく、ということにして出かけたが、

県立美術館のムーミン展は、なんと8日から。
翌日からだったのだなあ。
なぜか夏休みの間ずっとやってる気がしてたが、楽しみにしていた息子はがっかり。
でもまあ、閑散とした館内を歩くのも面白いよ。喫茶室にジュース飲みに行こう。
息子のお気に入りのぶどうジュースが、そこにはあるはずだったのだが。
いまはお取扱いしてないそうで、またしてもがっかり。

縮景園。息子、入口で鯉の餌をもらって、池に突進。きよえちゃんを案内することなんてもう全然考えてないよね。
鯉だけでなく鳩もむらがってくるのは、鯉の餌を鳩も食べるからで、鳩にも餌をやるからなんだけど。
64体の遺骨が見つかったところに、献花台が置かれていて、白菊が供えてあった。その傍らの木にビール缶の風車がぶらさがってまわっていた。

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それから、電車で港に行った。
海見ただけですけど、海を見ると、船に乗りたい。最近、四国に帰るときも、橋を渡ってばかりで船に乗らない。

息子、クリームソーダ飲みながら、店にあった血液型別性格診断とかの本見てる。
家では、アスペルガーとか自閉症とか、いう文字のタイトルの本、本棚につっこんであるのを、出して読んでる気配だし。
そういう年頃なんですねえ。

夕方、河津さんと駅で別れた。おかげで、久しぶり楽しい街歩きでした。

私も久しぶりに、原民喜読み返したりした。
原の同級生が、彼の自殺について、原は「はぶてたのだ」と書いていた、「はぶてた」という方言が、なんかすっと腑に落ちた。

異郷の方言というのはむずかしくて、意味はわかっても、自分の体とうまく折合がつかない。
私もう故郷で暮らしたより長い年月を広島で暮らしているが、広島弁はいまも使えない。
でも日頃接するから、いろいろ混ざって使うのだが、そういう使い方が、自分でしっくりこなくて、気持ち悪い。自分の言語に対して、自分で安心しないのだが。

そうか、原民喜は、はぶてたのか。



今日はまた、いつもの4年生と6年生が来ている。
このあいだ、4年生が親に何か言ったらしい。すると、もう遊びに行くなと言われたらしい。でもまた来ちゃったんだって。
全然、要領を得ないんですけど。

ほかに行くとこないのが、ここに溜まっているふうですけどね。

いまもすんごい奇声がとびかっている。

ときどきは、ぞえるな、つばえるな、と、声をかけたいとこですけど、
ここの子らには私の方言は通じないっと。
ぞえるな、つばえるな、が通じないなら、なんといえばいいんだ。このふざけた男子らに。
彼らの体に届く言語、がわからないのである、と気づく。

☆☆

夏休みの宿題は、ドリルなんてほんとに、なしにしようよ。やりたいことだけでいいにしようよ。
3日ですませる、と張り切って、でも3日ですまなかったから、そのあとはもう嫌気がさして、たいへんよ。
毎日すこしずつやってないと、終わんないよ、と気にかけてやるのもストレスである。

私が小学校のとき、3年と4年の2年間、その時の校長の方針で、夏休みの宿題がなかった。あの解放感はすばらしかった。
でも、校長が転勤か退職かでいなくなった5年生から夏休みの宿題復活。
そのときのすごくいやな気持、心がどんより曇った感じも、いまだに思い出せる。

中学生になると夏休み帳、自分で解けない問題ばっかりで、へこんだ。塾も行かないし誰にも教えてもらえないし、お手上げだから、半分ぐらい空欄のままもってゆくのだ。さぼってやってないんじゃなくて、わかんなくて白いのだというのが、また救われない気分だった。

台風来るらしい。明日の盆踊り中止の連絡。