壜の中の子ども

NHKETV特集枯葉剤の傷跡を見つめてーアメリカ・ベトナム次世代からの問いかけ」(再放送)を見た。

ベトナム帰還兵の娘で、右足の膝下の欠損、指の欠損などの先天的障害をもって生まれた女性が、ベトナムに旅をして、自分と同じく、枯れ葉剤による先天性の障害をもった青年たち子どもたちに出会う。ベトナムではいまも、そのような子どもたちが生まれつづけている。5万人のうち、1000人が障害をもって生まれる、という。

なかに皮膚病の姉弟がいて、全身の皮膚が茶色くかさぶたのようになっていて、ああ、それは見たことがあると思って、思い出した。

パヤタスで、ゴミ山崩落惨事があった2000年7月。事故の2週間後に私は現地にいて、学校が休みの週末、行方のわからない生徒たちを探して、レティ先生と、事故現場近くの避難所を何カ所もまわった。事故現場は、もう死者たちの発掘もせず、ブルドーザーが入って均していて、崩れて、瓦礫になった家のまわりで、子どもたちが遊んでいた。遊んでいた子どもたちのなかに、そんな皮膚をした兄弟がいて、驚いて問いかけるレティ先生に、病気だよ、と近くにいた大人は答えた。病気だよ、とたぶんそれしかわからないのだろう。

ベトナム姉弟の皮膚病は枯れ葉剤に由来する。ダイオキシンに。パヤタスのあの少年たちも、だろうか? 
親たちも、子どもたちも、そうと気づかないまま、どんな危険なものにさらされていないとも限らない。
もしかしたら、どこで生きてもそうかもしれない。この世で生きているのというのは、そういうことかもしれない。

イラク戦争がはじまるときに、戦争がはじまったら、劣化ウラン弾が使われるだろう、それは新たなヒバクシャを作りだすだろうと、抗議もあったのに、容赦なく戦争ははじまり、爆弾は落とされ、ヒバクシャは増えた。イラクにもアメリカにも。
何年か前に、劣化ウラン弾の被害にあった子どもたちの奇形化した肉体の写真の展示を見たが、そのむごたらしい写真のことも思い出した。

ベトナムで枯れ葉剤の被害者にあって、私は孤立していない、と女性は思った。民族も国境も立場の違いも超えて、同じ悲しみが友情を生む。あの壜のなかの子どもであったかもしれない私。壜のなかの子どもであったかもしれないあなた。

きっと、底の底に沈んでゆけば、人は悲しみの底で、同胞になる。あの、壜のなかの子どもにもどる。壜のなかの永遠の子ども。

壜のなかの子どもを直視するのは勇気がいる。

なんであれ、だ。
ものごとを、ありのままに見つめることは勇気がいる。

途中でうるさく歪んでいく。
そして、あの壜のなかの子どもに、たどりつけない。