レイ

はじめて会ったのは94年だったと思う。パヤタスで、ゴミ山のふもとあたりを歩いてたら、道端でおやつを売っているところがあって、子どもたちに声をかけられて遊んでいたら、その家のお母さんがおやつを分けてくれた。やたら子どもの多い家で、9人ぐらいいたかな。レイがそこの次男だということは、あとでわかった。
あの頃彼は、十代の終わりだった。パアラランの年長の生徒のひとりだった。
田舎の家が台風で壊れて、それで家族はマニラに出てきた。レイはパアラランで勉強を再開して、ハイスクールに編入した。
ジャンクショップで働いてもいた。ゴミ山にのぼると、山の上の小屋で、ごみの仕分けをしているレイによく会った。

それから、レイはカレッジに進学した。ジュリアンとレイは、パアラランの最初の奨学生になった。
ふたりともその頃、ほとんどパアラランに住み込みで、子どもたちの給食の買いだしや準備をして、パアラランの仕事を手伝いながら、カレッジに通っていた。教室の机をベッドにして寝ていたっけが。
レイはとても優秀な成績で、金メダルをもらってカレッジを卒業した。

卒業したあと、でも就職が決まらなかった。コネがなければ難しいらしかった。決まりかけたところが反故になったんだっけか。ショックだったみたいだ。口ききしてもらうのに、いくらか必要だというような内容の手紙がとどいた。あの手紙はせつなかったな。
残念だけど、卒業したあとの支援までは、してあげられない、って返事を書いた。
それからしばらく、レイはパアラランで先生をしていた。
それから、学校に来なくなった。もっといい仕事を探しているんだろう、家族もいるからね、って聞いたのが、何年前だろう。

今日、フェイスブックにレイがあらわれた。
子どもがふたりいるんだって。仕事は、政府の関連のオフィスで、安定しているって。今もパヤタスに、親の家の近くに住んでいるって。
ああ、よかったなあ。

なつかしいなあ。最後に会ったのは9年前かな、10年前かな。洪水のあとのゴミ山のふもとの集落を一緒に歩いてくれたっけが。ゴミ山のぬかるむ斜面も、レイが手をひいて一緒にのぼってくれたんだ。そんなことをふいに思い出した。

さあて、来月パアラランにゆきます。まだ調整中で、チケットもまだなんだけど、その間の留守番と家事と夏休みの子どもの世話と空港への送迎をさせられる予定のパパが、ぶつぶつ言ってるんだけど。

See you soon! って、私もう言っちゃったし。