ヘッセ「少年の日の思い出」

昨日の午後、ふくやま文学館へ。
ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」没後50年によせて
の展示を見に。

ヘッセを最初に読んだのは、中学1年だと思う。
ひとつは、自殺した高野悦子の日記『二十歳の原点序章』のなかに引用されていた詩。
「空を越えて雲は行き/野を越えて風はよぎる/野を越えてさすらうは/私の母の迷える子//(以下略)」

もうひとつは、道徳か国語の教科書に載っていた「少年の日の思い出(クジャクヤママユ)」の話。

それで、このクジャクヤママユの話を中心に、展示されていたんだけど、この話は、最初に読んだときもそうだったけど、展示室でいま読み返してもやっぱりそうなんだけど、蝶の標本集めに夢中だった日々に、友だちの家に珍しいクジャクヤママユの標本を見にいって、それを思わず持って帰ろうとして、見つかりそうになって、もとにもどしたときには、標本はこわれてしまっていたという話なんだけども、手のなかで粉々の標本、
ああ、それをしでかしたのは、私であるような気がする。
盗みという罪と、その取り返しつかなさと、みじめさと失うものと、なんて素直な、いやな描写だろうな。

それをしでかしたのが私であるような気がする、ことの切実さにおいて、数ある物語のなかでも、忘れがたい話。
小学校2年の夏休みに、思いがけず、大きなアゲハチョウを捕虫網でつかまえたときの驚きも、同時に思い出す。

壁に、『ガラス玉遊戯』の一節が、かけられていた。

「国民が耐えねばならない務め、犠牲、危険を逃れる者は、卑怯者です。しかし、精神生活の原理を物質的な利益のために裏切る者、例えば、二掛ける二はいくつになるかという決定を権力者にゆだねる用意のある者は、それに劣らず卑怯者で裏切り者です! 真理の感覚、知的誠実、精神の法則と方法に対する忠実を、何かほかのための利益のために犠牲にすることは、たとえそれが祖国の利益のためであっても、裏切りです。さまざまな利害やスローガンが対立する中で、真理が、個人や言語や芸術と、一切の有機的な、精巧に高度に育成されたものとまったく同様に、価値を無くされ、ゆがめられ、暴力をくわえられる危険に陥るならば、その時は、抵抗し、真理を、つまりは真理への努力を、私たちの最高の信条として救うことが、私たちの唯一の義務なのです。         渡辺勝 訳『ガラス玉遊戯』」

卑怯な世の中で、卑怯なひとりのように生きてきました、というほかなく。

 この本、読みかけ。数年前からの読みかけ。読みかけて中断して、またさかのぼりながら、読んで、を何回も繰り返しているんだけど。まだここまで、たどりついてないな、たぶん。読み終えるのがなごりおしい、という気持ちもある。ヘッセの小説の、読み終えてない最後の一冊。昔なかなか手に入らなくて、ずっと憧れの本だったんだ。カスターリエンの物語。
 つづき読もう。

常設展は井伏鱒二ほか。井伏鱒二山椒魚と黒い雨と、ドリトル先生の翻訳と、「花に嵐のたとえもあるぞ/サヨナラだけが人生だ」ぐらいしか知らないんだけども、山椒魚の話は、子どもと一緒に楽しめる。展示も、
ドリトル先生があるとよかったなあ。

ボタンを押すと、地方の文学者ゆかりの風土の映像が浮かぶ装置の前で、子どもはずっと遊んでいた。

それから、帰りに鞆の浦まで行ってみる。
不便なので橋を架けるか、昔ながらの景観を守るために橋を架けないか、対立していたのが、ほんの数日前、橋を架けない、ことに決まったらしく、大林監督は喜びのメッセージを寄せたそうだが、駅とか橋とかビルとか、人工建造物が大好きな私の子どもは、がっかりしていた。

いろいろな意見があるんだよ。

夕方で時間もないし、天気も崩れそうだし、町並みは歩かず、海だけ見た。天気がよければ、海も青くてきれいだろうな。Img_4770 
帰り、山の上から。