Rについて 2

 李珍宇について考えよう。朴寿南(李珍宇より4歳年上。書簡では゛姉さん゛と呼ばれている。当時、在日朝鮮人の青年向け月刊誌の編集部員。)は次のように解説する。半日本人(パンチョッパリ)、在日二世のアイデンティティの問題として。

 「『チョーセンジン!』と名ざされ、真っ向から引き剥がされた仮面の下から現れたのは、もはや朝鮮人自身でさえもないパン・チョッパリだったからである。チョッパリ、ひずめの割れた獣、人間ではない日本人(チョッパリ)に似せた、その素顔は、自分の自己を見る目さえくり抜かれた、のっぺらぼうだったのだ。わたしは少年の殺人が自殺に思えたのである。人を殺すことで少年は死のうとしたのだ。」

 「〈チョーセン!〉この白い目の包囲に曝される身に覚えのない恐怖と不安は、わたしたちから微笑みかける世界のいっさいを奪っていくのだ。白い眼に映されたわたしを、わたしは見る。そして、その映像の中の、呪われた〈チョーセン〉が、わたしであることを思い知らされるのである。わたしは、わたしであることを失っていく。」

 「〈チョーセン〉であることを引き受けるよりは、死んだ方がましだ、と思いこんだ恥辱と、そして自分への憎しみ、白い眼たちへの恐怖と不安──。わたしは死にたいと思った。六つか七つのときだったか…。そして生みの母を呪ったのだ。〈チョーセン〉である母を──。私は母を失った。そして、少しずつ自分を死んでいったのだ。この、魂もからだも千切られバラバラに裂かれる痛ましい経験を、わたしたち日本生まれの子どもたちは、わかちがたく共有するものなのである。」

 「自分が自己である白い玉のように無垢だった自我はこうして打ち砕かれてしまう。わたしたちは、無垢であることを奪われる。そして、純真であることを失ってしまうのだ。この原初的な自己を奪われる体験──自己否認への固着──が、わたしたち、パン・チョッパリの生の原点なのである。わたしたちの自我──自尊心であり魂である──は、根こぎにされた生を不断に脅かす軋轢に痙攣しながら、病んでいくのだ」

 以前、被爆者の在日二世のお母さんが言っていた言葉を思い出す。子どものころ、自分が朝鮮人だと思い出したら、足もとから地面が消えるようだった。ああ、わたしは日本人じゃない、と気づいたら。

 それはすこしわかるような気がした。十代の頃、私は自分が女だと思い出したら、足もとから地面が消えるようだった。絶望感がこみあげてくる。性同一性障害の人もそんな感じがするかしらと思う。私はそうでなく、性と生活は暴力の温床だと思いこんでいたからだけれど。どうかしてそこから抜け出したい、性と生活を自分から引き剥がしたい、でも性と生活のないところ、私自身が存在しない、という矛盾を、たぶんずっとのちまで解決できずにいて、その矛盾に気づく度、地面は消えたのだ。

 チョーセンでなくったって、内面の危機はどこにでもある。地面なんかすぐ消える。ほんとうにすぐ消える。これ以上、危機を増やすな、あたらしい差別なんか、わざわざするなと思う。高校無償化の朝鮮学校除外のことだけど。

 3月の集まりで、ハングルで詩を書かれるキムリバクさんが、子どもの頃の話をしてくださった。成績がよくなるとみんながやさしくなった。するとそんなにいい子が朝鮮人であってはいけないと思った。それで日本名を名のるようになった。朝鮮人だと知られるのがこわいから、家に帰るときに、日本の被差別部落を通って帰る。朝鮮部落の子と思われるよりは、被差別部落の子と思われたほうがましだった。

 かくも残酷なこの国の差別。トラウマを乗り越えるのに30年かかったと言ったか。もっとだったか。若い世代が、自分と同じような思いをするんじゃないかと思うと、いてもたってもいられないんだろう。反対の一人デモをされるという。なんか泣きそうになった。日本人にいじめられませんように。無事を祈ります。

 まだ続きます。