孤立無業者

という言葉は、数日前にはじめて見たんだけど、
書いておかないと忘れるから書いておこう。孤立無業者。
ニートよりももうすこし広い範囲、年配者も含むか。
162万人いるらしい。

そんなにいるのか。
仲間が。
と思った。
なんか元気出た。

たまたま私は女で、たまたま子どもの母親だから、
世間もそれでいいよ、とゆるしてくれる感じだけれど、
率直に言って、ひきこもりの孤立無業者ですがね。

ボランティアしてる、けれども、内実は、
率直に言って、物乞いと行商ですがね。

でもどんな存在の仕方だろうと、なんとか生きていることだけは、
だれがどう言おうと、無条件に正しい。

生きてみてわかったことは、
私が気後れしたり、遠慮したり、しなければならないほど、
世間は、立派でもなければ、美しくも正しくもないってことだ。

こないだ、知人の葬儀を自分たちでやって、
ふむ、葬儀屋さんがいなくても、葬儀はできるじゃないかとわかった。

それはそれで、なんだか人生をとりもどしたような感じがした。
なにも、他人にあずけてしまわなくてもいいんだ。

パアララン・パンタオの原稿をいままとめていて、
ゴミの山にフリースクールができた最初の頃の話、
なんにもないところから、手探りではじめたことの、しんどさと、喜びと、自分の原稿ながら、久しぶりに読み返して感動して、最近の惰性をものすごく反省している。

手探りできたことは、ずいぶんしあわせなことだったなと思う。
ゆきづまったら、何か手を動かすことからはじめよう。

と、毎日、はさみと紙で、飽きもせず電車をつくりつづけている子どもを見ながら思った。

ということで、本をつくります。
あとでご案内します。