パアララン・パンタオ 2012年8月 ①

8月4日(土)
朝6時に家を出て、車で送ってもらって7時に空港。9時フライト。
快晴の空を飛ぶ飛行機。台北空港でトランジット。
以前、搭乗ゲートが変更になっていることに、フライト直前に気づいて、空港の端から端まで、息を切らせて走ったことがあって、そのときはたまたま出発が少し遅れていたので間にあったけど、そんなことがあったので、注意してはやめにゲートに行くと、また搭乗ゲートが変わっている。端から端まで。今度は歩く。

マニラ空港には、パアラランの最初の奨学生だったふたり、ジュリアンとレイが迎えに来てくれている。フィリピンは雨で涼しい。荷物ももってもらって駐車場に行くと、車のなかにはレティ先生もいた。元気そうでうれしい。
道路は渋滞。2時間近くかかって、ジェイ(レティ先生の末息子)と待ち合わせていたらしいマーケットのなかのお店にたどりついて、夜ごはん。
それからさらに1時間くらいかかって、パヤタスに帰りついた。
ベイビー先生がエラプから、孫のグローリィ(5歳)と来ていた。クレアアン(レティ先生のひ孫)はいま、どの家で暮らしているのかな、とにかく、私たちが帰ったのを見届けて、ベイビー先生とグローリィとクレアアンは、エラプに帰って行った。クレアアンは、今年、ハイスクールの1年生。

夜、学校にはレティ先生と奨学生のロザリンがいる。
地方から出てきたロザリンは、ここで学校のお手伝いをしながらハイスクールに通っている。今年4年生になった。物置の片隅のベッドに、ロザリンの数学のノートがおいてあったので、見たけど、何が書いてあるのか、さっぱりわかんなかった。むかーし見たことが、あるといえば、あるような気もする数式。
10時を過ぎてグレース(レティ先生の養女)がもどってくる。グレースはカレッジの4年生になった。
この4月に、夜、グレースが帰ってくるときに、すぐ近くで、ホールドアップにあったらしい。ナイフで脅されて、かばんをもっていかれてしまった。それで、グレースがジプニーを降りたら、ケータイでメールする。それから迎えに行って一緒に帰るというふうにしている。
(そういうことがあるので、心配して、滞在中もなかなかひとりで外に出してもらえない。)

グレースのパソコンは無線ランなんだけれど、なかなかここは、ゴミの山のせいでシグナルが入らない。それでも以前は、奥の部屋で、空き箱などあれこれ積み上げて天井近くに不思議な塔のようなものつくって、受信して、たぶんグレースしか使えなかったが、使っていたが、とうとう受信できなくなったらしい。それでグレースはレティ先生の部屋にパソコンと一緒に引っ越した。その部屋は比較的よく受信できるようだ。
それで私は、奥のグレースの部屋でひとりで寝たんだけど。

夜、天井のヤモリが、チュッチュッチュッと、甲高い声で鳴く。ここではヤモリは家のなかを這うのだ。雨の音が激しくなったり弱まったりするのを聞きながら寝たが、早朝4時、裏の道をゴミのトラックが通る音で起こされる。
ああ、パヤタスの音だなあ、と思う。

それを言ったら、パヤタスのスペシャルノイズは、特別にうるさいのは、平日に学校にやってくる子どもたちの声だよ、とレティ先生は笑ったが、今回は滞在中、ずーっと台風で、クラスは一度もなくて、子どもたちは学校に来ない。
結局、パヤタスのスペシャルノイズを、一度も聞けないまま、帰国した。
サーヤーン(残念)だった。

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学校の裏口からのぞんだゴミの山と、崖下の裏の道を通っていくゴミのトラック。