3・1 語りと詩と音楽の夕べ

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いい集会でした。詩と歌声と笛と太鼓とピアノの響きと。
何かとても、あたたかく美しいものがある。


先生方の詩。朝鮮語のすごく美しい朗読でした。意味はわからなくても(日本語訳は資料にありましたが)心揺さぶられる。一世や二世たちの姿が、私にもふと見える気がする。そして子どもたちへ受け継ぐ思いのありか。

Img_3495_2 「ハラボジ、ハルモニたちが/奪われた言葉、姓名を取り戻した時/何よりもまず始めたのは、/子供たちの学校をつくってあげることだった。//畳六畳の貧しい部屋で、/産声を上げたウリハッキョは/隙間風の入る古い教室に移り/そして/同胞たちの思いを吸い上げ/校舎建設の槌音を響かせ/全国に広がっていった」
「半世紀を越える長い歳月/ウリハッキョを/時に嵐が襲い/時に冷たい雨が降り続いても/子供たちの笑いが途絶える事は無かった。」

それから男子生徒の民族楽器(笛と太鼓)の演奏。かっこよかった。

保護者会のオモニのお話。
「理解してほしい。私たちの存在は、ウリハッキョは、子どもたちは異質でも何でもない。あなたたちにとっての隣人なのだ。」
声かけてもらって、お話できてうれしかったです。 Img_3510_3

4人の女生徒が歌った歌は、2010年の朗読会のときにも聴いた記憶が。この歌好きです。CDがあったらほしい。日本語訳「私たちを見てください」


 「いつも私に突き刺さる視線 私の居場所がないかのように
  心を隠し足音も立てず 世の中に私ひとりぼっちだと気づく
  たったひとつの名前を呼んでくれる トンム達が私を生かしてくれる
  両手を大きく広げここにおいでと抱きしめてくれる ナエハッキョ

  私たちを見てください うらやむものは何もない
  おもいきり学べる この幸せがあふれる
  朝の太陽の光が美しくきれいな その姿を抱き生きていく

  果てしなく続くこの道に 青い空は一緒に広がってゆく
  母国語を読み顔をまっすぐに上げ 毎日学校に通うこの喜び
  呼ばれる名前を知らなかった 誇りあるこの服の着方も知らなかった
  おまえは迷うことはない笑ってごらんと
  抱きしめてくれる ナエハッキョ

  私たちを見てください 何もうらやむものはない
  全うに生きていく この幸せがあふれる
  朝の太陽の光が美しくきれいな その姿を抱き生きていく」

広島大学の崔真碩さんは、日本の若者たちこそは、とてもかわいそうだと言う。まったく同感。アジアについても、歴史についても、あまりにも無知で、その無知がもたらす差別は、日本人自身の人生の貧しさにつながっている。このままでは、この国の未来がないでしょう。
3・1は、1919年のこの日に起きた独立運動の記念日なのだが、国は独立しても、在日朝鮮人独立運動はいまも終わっていない。
そしてその運動は、日本のためでもあるのです。

生徒たちの詩の朗読。姿勢がいいです。立ち姿がすごくきれい。
「(略)知らなかった/私たちに吹く向かい風が/こんなにも冷たく、鋭く、痛いことを/私は今日まで守られていたから//やっと知った/一世、二世が今まで流した/血と涙の本当の意味を/本当の訳を/チマチョゴリに込められた思いを(略)」

朝鮮人の何が悪いんですか?/朝鮮学校に通っていてはいけないんですか?/なぜ差別をするのですか?//朝鮮人だから朝鮮学校に通い/朝鮮人だから朝鮮の歴史を学び/朝鮮人だから朝鮮語を話します//私たちも同じ人間であり/世界各国の人々が自分の国を愛するように/私たちも祖国を愛しています(略)」 

それから福島や東北の朝鮮学校の子どもたちについての報告。
それから福島出身、広島在住のアーティスト、ハ・ホンチョルさんの語りと歌。朝鮮語の歌詞はわかりませんが、日本語のところはわかった。♪大地ゆれても笑っていこう♪ これもCDほしいです。

広島は全国に先駆けて民族教育の権利を勝ち取ってきた土地らしいのですが、ここでも、補助金カットを言い出す議員が出てきたり、反動勢力が強まっているという話が不穏でした。

最後に、内閣総理大臣、文科大臣宛の要請文採択。



私も挨拶させていただきました。原稿載せます。
http://kazuminogi.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-943b.html