批評会つづき

土曜の批評会について、河津さんのブログ。
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/02/post-a9c8.html
とってもありがたく。
こうして文字にしてもらえると、何かわかりそうよ。
何がわからないかがすこしわかりそう。

「」は書くかもしれないなあ。
それが安易でも、誠意という誤解はありがたくても、短歌と呼ぶに値しなくても、だから歌集のなかにあってはいけないものであるとしても、
この空耳をどうしよう、という場面にたったとき、「」以上の表現を私が見出せない時に(だから「」のままなんだが)、それを書くか書かないか、を考えるときに、私は書くんだろうなあ、と思う。
それは、それが正しいと思うからではなくて、正しくなくても、自分でいやだと思ってさえ、私はそうしてしまうだろうなあ。

蝦名さんがいってくれた色盲の比喩はわかりやすかった。たぶん、私の耳は破調であると破調でないを、聞き分けられない。破調を書いているつもりじゃなかったんだけど、と言うのがこわくて言えないけど、ないのだ…
言葉のリアリティと行為のリアリティの差異も分かりづらい。ああそうか、そこがわからないから、私は、修辞、という言葉がわからなかったのか、というのがわかったのが、きっと最大の収穫だ。
(理解を間違っていたら、指摘よろしく)
たぶん、修辞、という言葉がわからずに、加藤治郎さんのところにいるというのは、九九がわからないまま高校の数学の教室にいるみたいなことだなあ。すごいぞ、私。

でもものすごく集中したら理解もときどき可能かもしれないという気もすこししたんだけど、その集中の持続は無理。無理です。
きつかった。3時間。プラスアルファ。笑。

黒岩康さんに、菱川先生がいらっしゃったら、喜んでくださったろう、といってもらったのが、ちょっと救いのようにうれしく。

何はともあれ、たいへんありがたくうれしく。みなさまに心からの感謝を。

さて、帰ろうっと。