星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

退屈

学校は楽しいらしい。起きて、食べて着替えて、とっとと出て行く。部活もないのに1時間も早く行って何するんだろうと思うけど、まあ楽しく過ごしてるんだろう。

朝読書の時間に読む本、図書室で借りてくればいいものを、図書室が遠いとか、部活があるから開いてる時間に行けないとか、いろいろ言って行かないから、うちから持っていく。私がもっている本、中学生が読めそうなのを適当に出してやるんだけど、
「あのころはフリードリヒがいた」という本、あの少年小説の傑作について、息子は言った。
「よくある話で退屈だよ」
これはすこしショックを受けた。どこらへんが退屈なのかと聞いたら、ナチスユダヤ人虐殺の話は、アンネの日記とか、フリードル先生の本とかたくさんあるからだって言う。ぼくは、小学生のときフリードル先生の本を読んだよ、って言う。(たぶん、ちゃんと読んだのはそれだけだと思う)。それで終わってはもったいないんだが。
うちの本棚には、アウシュビッツ関連の本が、ざっと見ただけでも40冊ほどはつっこんである。ということは、毎年1冊や2冊は、私はそういう本を読みながら、生きてきたわけかと、それはそれで不思議な感じなんだけど、
「退屈」を逃れようとして、私は読んできたのかもしれないんだが。

「暴力は、退屈だ」と言ったのは誰だったか。

以前、アフリカのどの国だったか、部族抗争が続いている国で、捕まえられた敵が、首長の前で、なぶり殺しにされる、おぞましい映像を、見たことがあって(いつ、どんなわけで見たのか全然思い出せないのだが)、でも心底ぞっとしたのは、目の前の男が、耳をそがれ鼻をそがれしていくのを、飲み食いしながら眺めている首長の、太った一個の肉塊の、退屈しきった表情だった。

息子が言うには、アイヌ神譚集と民潭集、カレル・チャペックの本は面白かったらしい。まあ、朝読の10分間しか本読んでないね。私が、本はたくさんあるのに人生は短すぎる、と気づいて泣きそうになったのは、中学生のときだったが、そういう焦りとは無縁らしい。
宿題しているふりして読んでいるのは、時刻表で、なぜあれが読み物なのか、私はさっぱしわかんないが。


今日の収穫。ブルーベリー1粒。ミニトマト2個。きゅうり3本。

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